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不定期サバティカル日記39 自然と戦っている人は優しい

東京という大都会とその周辺の首都圏に住んでいると全く感じませんが、ニュージーランドに旅行に来てみて、人間がなんとか「自然の脅威」から逃れようとして「町」を開発してきたんだな。と実感します。

「町」には安全に住めるけれど、その外はそうではない。なので、安心して住むためには「町」を拡大しなければいけない。そんな執念が人間にあるような気がするのです。

というのは、東京はある町から別の町への切れ目がないです。神田という町から地続きにお茶の水という町になります。一方、ニュージーランドは、ある程度大きな町、例えばクイーンズタウンのような町でも、車で10分も走れば町は終わり、荒野、丘陵帯、湖畔が広がります。そこには電気も、ガスもなく、寒く、風が吹き、獣がいる世界です。(ま、獣は比喩的な意味も入っていますが)そこには人は住めないのです。住むには、町を作り、町を広げるしかないのです。

そうした、「人が自然と戦っている最前線」にいる人たちは、自然という「共通敵」をもつが故に、人間という同士同胞に対して自然と優しくなる、寛容になるんじゃないか?と思える話がありました。ミルフォードサウンドに向かう熟練の現地ガイドさんから聞いた話です。

クイーンズタウンから、ミルフォードサウンドへの数百キロはチャーターされたバスが何十台も走っている。そのほとんどが自営業者がツアー会社にチャーターされているので、バス同士は同じ組織下にない。バスは結構飛ばすし、道はくねくねしていて坂も多く、バスにとってイージーな環境でないため、時々、営業中の、つまりお客さんを載せた状態のバスが故障することがある。ひとたび道中でバスが故障すると、他のバスが故障したバスの乗客を無料で乗せてあげる習慣がある。

なるほど、自然発生的互助関係ですね。

と思っていたら、ミルフォードサウンドからバスでクイーンズタウンに帰っている時、前方に故障したバスが停車しています。すると、自分達の乗っていたバスは停車し、我々乗客に事情を説明し、故障したバスの乗客を座席が空いているだけの人数をめいっぱい受け入れてクイーンズタウンに向かったのです。前述のガイドさんの話が目の前で起きるのを見たのです。

こうした互助の精神、寛容さは、人間が自然と戦っている土地柄と無縁ではないのではないか、東京は、自然と言う共通敵を失ったために、他人に寛容な社会ではなくなってしまったのではないか?などと考えたりしました。

ではまた。


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