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理知を継ぐ者(29) 続・差別について③

 こんばんは、カズノです。

【続・差別について】

「どうすれば『ひとみん』を軽視も蔑視もせずにいられるか?」という問いには、実は簡単に答えられます。
「無視すればいい」
 これが今の日本の「正解」です。

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 無視して、いないことにすれば、私たちは『ひとみん』を軽視も蔑視もしていないことになります。つまりそこに差別はないということになります。だって相手を無視してしまえば、そこにはそもそも「人間関係がない」からです。
 だから軽視も蔑視も、ハラスメントもヘイトも、実際的な差別行為も起こりようがありません。なので無視すればいい。
 これが今の日本の正解です。

 もちろん、同じ理由から山本が『ひとみん』や、「ヤレる[ギャラ飲み]」ページ全体を、主張の論理に組み込まずにいるのかは分かりません。
 忸怩たる思いを抱えながら、今はまず女性の地位向上を目指すべきだと、あえて『ひとみん』と「ヤレる[ギャラ飲み]」全体を無視したのかも知れません。女性全般よりまず女子大学生への偏見をどうにかすべきだと、どういう経緯からか分かりませんが、思っているのかも知れません。とくに理由もなく『ひとみん』や女性全般はスルーされたのかも知れません。
 どれかは分かりませんし、それ以外かも知れません。

 ところで、作家の橋本治は「被差別者とは何か?」という問いに、こう答えています。

・いるのにいないことにされている人

 彼のデビュー作『桃尻娘』は、当時の女子高生を主人公にした独白体の小説でした。いえ、独白体といえば恰好もつきますが、女子高生がただおしゃべりしているだけの小説です。そういう小説はそれまでなかったそうです。
 なので周囲は聞いたそうです。「なんでこんな小説を書こうと思ったんですか?」。この問いに、橋本は「いるのにいないことになってるから」と答えました。

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 同書が書かれたのは70年代の半ばを過ぎた時期ですが、当時「女子高生」とは「社会を構成する人間」とは思われていませんでした。橋本の返答とはそういう意味です。「女性一般」ですら「社会を構成しているとは言い難い」くらいだったのが当時ですから、ぺちゃくちゃおしゃべりしてるだけの「女子高生」ははっきり「いない」でした。
 だから橋本は、「いるのにいないことになってるのはおかしい、だったらおれが存在させてやる」とその小説を書いたそうです。

 きっと私たちがすべきは、『ひとみん』を無視するのをやめて、せめて軽視・蔑視レベルに置くことです。「この場合の軽視・蔑視は十分にレベルアップだ」と自分に言い聞かせながら、「いるのにいないことにするのだけは、とにかくやめなきゃだめだ」と。



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