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理知を継ぐ者(28) 続・差別について②

 こんばんは、カズノです。

【現にいてしまう存在】

 前回、『ひとみん』の紹介をしました。むろん雑誌記事ですから、特集の趣旨にそって編集はされているでしょうし、地の文では誇張くらいはしているはずです。だとしても、『ひとみん』がそこで話した内容はそれでも事実です(じゃないと捏造記事ということになってしまいます)。
 なのでこういう言い方をすれば、要するに『ひとみん』とは、「女性の地位は向上しないほうがいいし、女性はみんな性を商品化してくれたほうがいいという考え方」が服を着て歩いているようなものです。よねえ。
 こういう「女子大学生」が現実にいてしまうというのは、たぶん山本にしたら都合が悪いでしょう。自分の主張をさえぎるような人物が、しかも女性の中にいてしまう。

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「女性を軽視または蔑視してはいけない」と主張をするにせよ、「このコをどうすれば軽視も蔑視もせずいられる?」と思う女性存在は現にいます。山本が問題視したその箇所の、真横にいます。というか、どう読んでも「ヤレる女子大学生RANKING」なる図表の題字とは、「ひとみんみたいな女子大生はこの学校にいるぞ!」でしょう。
 その図表、その元になったコメントとは、「この『ひとみん』または『ひとみん主催のギャラ飲みにくる女性(学生やアイドル・芸能界志望のコを含む)のような軽いコ』はこの学校にいるぞ!」という流れですよね。それ以外の作り方/読ませ方はないと思います。まあ違う読み方をする読者は読者でいるのかも知れませんが。

 確かに当時、「女性にもいけないところはある」といった山本の見解も、インタビュー記事では見かけました。SPA!誌への抗議を「男女の問題にしたくない」とも言っていたはずです。でもそういった見解を持ちながらも、山本の主張や理論や、敵や味方は変わりませんでした。
 あくまで「ヤレる女子大学生RANKING」という図表(の題字)が問題なのであり、その題字は女性を軽視し蔑視しているものだという、そういうスタンスから変わりませんでした。「女性にもいけないところはある」と言いながら、その「いけないところ」「いけない女性存在」は含めず、最初の主張を通しただけでした。署名記事ほか主要な記事群を読む限りではそうです。
「反対意見」を含めなければ思考も運動も成長はしないでしょう。なにより、けっきょくここでも受講生Dのように、問題にされているのは「言葉」「言い方」「ピンポイントのワンフレーズ」だけになってしまってます。

 ただ念のため、いま話していることは、かつてフェミニストも避けた話題でしたけどね。90年代、コギャル世代がブルセラや援助交際を始めた時期(つまり女性性を商品化し、その社会的地位の低さを本人から主体的に肯定する女性が生まれた時期)、フェミニストはろくな見解も処方箋も述べずにいました。「あのコたちはどうしょもない!」と怒鳴っていたのは田嶋陽子くらいでしたが、それはともかく。

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 なぜ山本が「ヤレる女子大学生RANKING」だけに固執し、『ひとみん』を抜かすのかをいうと、おれはやっぱり、「だって『ひとみん』を入れちゃうと都合が悪いから」だと思います。自分の主張が自分の中で辻褄が合わなくなってしまう。もちろん、これはおれの想像です。
 言い換えれば、やっぱりこういう事柄は、本人の口から「こういう理由、意識、または感情から『ひとみん』を抜かした」と話してほしいと思っています。
 この手の話題で年長者にやれることは、それを口にするしかないところまで、本人をきっちり追い詰めてあげることだと思いますしね。
 いえ、口にする必要は今はまだないけれど、自分の中での辻褄を合わせていく作業は始めてほしいと思います。

※念のためですが、どうもギャラ飲みとは「ヤレる」「ヤッちゃえ」などという男性サイドの主観とはおよそ無関係な場のようです。せめて思えて「ヤラせてもらえるかも知れない」レベルの、女性主導の場のようですね。『ひとみん』の告白内容ももちろんですが、その前のページの「ヤレることになった女性」の記述も含め、同特集を読む限りではそういうものです。「ヤレる」ねぇ。なんとも頼りにならない扇情キャッチですが、実際もそうなのか、うまい書き方をしてるのかは分かりません。



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