見出し画像

理知を継ぐ者(21) 正論と数と現在的

 こんばんは、カズノです。

【概要】

 どうも山本は初見でいきなりムッときて、勢いでSPA!誌への抗議署名記事を書いていたようです。ところで、これってヘンじゃないでしょうか?

【数を集める】

 もちろん気持ちは分かります。「なにこの記事! てんめー!」は分かるし、それでも理知的であるべきだった、雑誌記事の全体を読んでから書くべきだったとは言いません。その手の衝動に突き動かされた文は文で、読んでいて気持ちのいいものです。
 ただおれが気になるのは、「なんでそこで山本は、SPA!誌に直接抗議しなかったんだろうな?」ということです。

 例えば最初にモチーフにしたトライセラの和田。和田はほぼ名指しで奥田民生に抗議しています。Twitterという媒体で、ファンや観客に語りかけるように話してはいますが、あれは実際奥田への直接の抗議だし、奥田を許すような業界への直接的な発信ですよね。
 大学Aや企業B(講師C)に対する受講生Dもこれは同じです。まずAとBに直接抗議を行い、なかなか返事が返ってこないから署名に踏み切った、これがDの経緯です。
 それが和田とDでしたが、でも山本は違います。

「(本人なりの)正論を主張し、相手に非を告げる前に、まず数を集めようとした」。これが山本によるSPA!騒動の特徴です。

 テクニカルな考え方をすれば、この山本のスタンスはものすごくうまいとおれは思います。
 とはもちろん、その署名が功を奏して──つまり「数」を背景にして相手を威圧することで、謝罪を勝ち取り、その後の展開を生んだのがこの騒動だったと思えるからです。
 ただそうなると、じゃあそもそもの山本の主張はどうなっちゃうんだろうか、とも気になりますよね。

【正論の在り方】

 もちろん彼女の主張を「正しい!」と思える人が多かったからこそ著名運動は成功した、それが民意なのだ、という考え方もできます。
 だとしても、山本の主張が本当に正しいなら、人数がひとりだって通らないとおかしいですよね。だって「正論」てそういう意味なのだから。

「ヤレる女子大学生RANKING」なる記事(図表/文言)にムッときて、SPA!に連絡を入れる。私はこういう考え方からこの記事は間違いだと説得する。相手も説得される。
「正論」てそういうものですよね?
 人数の問題ではない。つまり量の問題ではない。仮に「ヤレる女子大学生RANKING」記事を間違いだと告発するのが山本ひとりでも、彼女の理屈を通さないほうがおかしい。

「いやー、それは理想論じゃないか? なかなかそうはならないのが現実ってやつじゃないか?」と思う人は多いと思いますが、だから気になるわけです。彼女は自分自身の意見をどう考えているのかと。

【現在的というもの】

 山本の初動行動とは、この「正論はなかなか通らないものだ」を前提にしている動きに見えるんですね。
 例えば受講生Dは、「まず(本人にとっての)正論で相手に抗議し」→「なかなか返事をくれないから署名に踏み切った」わけですが、流れとしてはこちらが正統/正当/正答のはずです。
 一方の山本は、「まず(本人にとっての)正論で相手に抗議し…ようとはせずに、そこはもうすっ飛ばして署名まで行った」わけですが、こう並べると山本の「正論」観、「自己主張」観が気にならないでしょうか?

 そしてなにより気になるのは、たぶん山本は、計算づくで「まず数を集めようとした」のではないことです。「なにこれ! ムッ!」の激情に駆られながらも、もっとも効率的、効果的な方法を選んでいるというそこです。
 つまり、反射的にもっとも効率的効果的な方法を選んでいる。
 おれはこの反射を、とても現在的な日本人の在り方だと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?