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理知を継ぐ者(32) 周囲という当事者③

 こんばんは、カズノです。

【蛇足。または本論】

 テンプレ抗議文に本気の心配はない、それが怖い、というのが前回のまとめでしたが、ちょっとこの話を付け足しておきます。まあ蛇足のようなものです。
 とりあえずは前回までのように読むのが学校テンプレ文でしょうが、こういう読み方もできるという一例を示します。もういっぺん引用します。

○A校
 2018年12月25日号掲載記事の女性蔑視に基づく内容について深い憂慮を表明します。
 本学は、個人の尊厳を尊重する教育環境を提供するため、人権講演会、ハラスメント防止啓発活動、ダイバーシティ推進など、さまざまな形で学内外の皆さまとともにより良い社会の実現に向けた取り組みを教育機関として推進しております。
 このたびの前時代的な考え方に基づく記事が、本学の女子学生のみならず広く若者の尊厳を損ない安全を脅かすものであることを、出版社が重く受け止めるよう要望します。

○B校
2018年12月25日発行の週刊誌に、本学女子学生を含む女性の名誉と尊厳を貶める記事が掲載されました。その内容は、該当する大学学生の安全を著しく脅かすものでもあります。本学では、この記事について深く憂慮し、週刊誌編集部に、再発防止を求める厳重な申し入れをおこないました。
「ダイバーシティ宣言」を発し、「人びとの権利を重んじ、多様性を認め合う『自由な校風』」(B大学憲章)を掲げる大学として、本学では今後も、学生の安全を守り、女性を含めたあらゆる人の権利と尊厳が重んじられる社会の構築に貢献してまいります。

 注目してほしいのはB校のほうですが、これってこれまでのおれの批判を実は微妙にかわしてるもの(とも読めるもの)だって、みなさん気づいたでしょうか。

 *

 A校もB校も①「女性への人権侵害が問題」と②「本学の生徒の安全が心配」と③「本学ではこのように人権教育やってます」のみっつの話で抗議文を作ってます。
 ただ、両校とも③「このように人権教育やってます」に関しては「その教育が実を結んでいるのかは知らない」という形で逃げています。だって両校とも③’「そのような教育が、このようにしっかり生徒に身についています」とは言ってないですよね。
 B校はまだ「すでにそのような教育を身につけた生徒を輩出し社会に貢献している、かのような表現」はしていますが、その「貢献」がどういうものかはさっぱり分かりません。

 A校にしろB校にしろ、「学校としてはこういう教育をしている──けど、実際生徒が身につけてるかどうかまでは知らない(なので『ひとみんやその周辺』みたいなコがうちの学校にいる可能性だって、そりゃあなくはない)」、そう読んでいいものです。まあ実際、「そのような教育をしてる」ことと「そのような教育が生徒の身についてる」かどうかは別の話ですから、当然といえば当然の話し方でしょう。
 ただそれを、A校は「そういう教育をしています」の現在形で話しますが、B校は「こうしていますし、今後もそういう教育をしてまいります」という、現在形を含めた意思・希望の未来形で結んでいます。しかも最後は謙譲語です。

 SPA!誌で「RANKING」と「ひとみん」が報じられている状況とは、当然「大学運営者は何をやってるんだ?(特にはランキングに入った大学の!)」とも問われている状況にもなっています。「このひとみんってなんなんだ? これが学生か? やりてばばあと同じじゃないか、親は泣いてるぞ! 大学校は何をやってんだ!?」。
 そこでA校は「このように教育しています」と現在形で話します。でもB校は現在形を含めた未来形で話します。つまり「このように教育しています(が、それが実を結んでいない可能性もあります、でもともかく)、今後もそのようにしてまいります」という間を持たせた、悪く言えば言い訳がましさがB校にはあります。だからポイントは謙譲語「してまいります」でしょう。

 A校の現在形『しています』には、「うちの大学だってこうはしてるんです、でも実際生徒がどうするかまで分からないですよね?」という釈明は感じられます。でも一方で、「うちはうちでちゃんとやってますよ、なんでうちがダメ大学扱いされなきゃいけないんですか!」という開き直りも感じられてしまいます。「おまえの大学はちゃんとやってんのか?」「しています! してますよ! 決まってんじゃないですか!」という開き直り方ですね。
 こういう開き直った印象を未来形かつ謙譲語の『してまいります』は生みません。「うちの大学だってこうはしてるんです、でも実際生徒がどうするかまで分からないですよね?──まあそんなこと言い出したらキリがないし、本学の教えを身につけて社会に貢献している元生徒だっているかも知れないわけですが、ともかく、これからも同じように教育していくつもりでいますから、そこは分かってもらえないでしょうか?」、これがB校の話し方です。

 最後の最後に謙譲語を使って自分を貶めて、読み手を上にしている。だから「おまえの大学はちゃんとやってんのか?」「しています!」と同じ印象にはならない。「おまえの大学はちゃんとやってんのか?」「ま、ちゃんとできてるかどうか分かりませんが、していくつもりでいますから…」になっている。
 まあ読みようによっては「これまではこうしてきたし、それで社会貢献やってる生徒だっているだろうし、これからもそうさせていただきますって言ってんだからこんでいいでしょ?(こんなときばっかいちいちケチつけやがって、実際あんたらになんの関係があんだよ、たくめんどくさい)」という、敵対的な態度とも読めますが──慇懃無礼というやつですが、そうだとしても「しています!」より遥かに敵対的です。
 B校の話し方は、対人感覚をわきまえた言葉として上等だし、「それでも気に入らないならこのケンカ買いますから」とでもいうような、覚悟においても上等だということですね。

「ダイバーシティ宣言」を発し、「人びとの権利を重んじ、多様性を認め合う『自由な校風』」(B大学憲章)を掲げる大学として、本学では今後も、学生の安全を守り、女性を含めたあらゆる人の権利と尊厳が重んじられる社会の構築に貢献してまいります。

 この一文は絶妙に上手いです。
 なにより「しています」は自省を生みませんが、「してまいります」は自省を生む可能性があります。すでに生んでいるからこその切り口上かも知れませんが、案外B校は、内部調査くらいはしたかも知れません。

【ほんとの蛇足】

 という風に、いかにもなテンプレ声明にもよくよく見れば絶妙な意思/個性が秘められている、という見方はできます。
 なので判で押したような女子大生イメージの『ひとみん』にも、よくよく見れば「彼女に固有の『何か』」があるかも知れませんよね。



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