見出し画像

理知を継ぐ者(22) 署名とオンライン署名①

 こんばんは、カズノです。

【概要】

 山本のSPA!誌抗議ではオンライン署名が使われました。受講生Dによる抗議活動でもそうでしたが、しばらくこのオンライン署名を使った抗議運動について考えます。もちろんオンライン署名にはどれだけの力があるのか、果たしてオンライン署名とは「民意」と呼べるのか、といった話題です。

 とはいえべつに、「オンライン署名は『匿名(偽名)』でも通る、それは『本人の意思表示』にならない」とか「同じ人間でもメールアドレスを変えれば何度も署名できる、これは不正な水増しも生める」とか、そういう話ではありません。
「ゆえに実体的な効力を認めるべきでない」「なのに大手出版社や有名大学や大企業を謝罪させているのが問題」、そういう話でもありません。そういう問題点を考えたいかたは他を当たってください。ネット上にはいくらでもあります。
 おれがしたいのは、オンライン署名とオンラインじゃない署名は何が違うのか? を考えることです。

【対面の対人】

 そもそも署名活動とは、署名用紙に自筆で本人の名前を書いてもらうものでした。だからそれは『署名・活動』だったし、オンライン署名の元になった行為とはそういうものです。今でも駅前などで、そういった「自筆の署名をしてもらう署名活動」を目にすることはありますが、じゃあこれってどういうものでしょう?
 考えられる要素はいくつもありますが、今回取り上げるのはこのことです。「署名を求める人」と「求められる人」とが対面で接しているのがその場だということです。

 自筆の署名活動は、「署名を求める人」と「求められる人」との対面で行われている。これが原則です。だってそうじゃないと署名をもらえませんから。
 つまり「どういう事情から署名をお願いしているかを説明し、説得しないとならない」のがオンラインじゃない署名の現実だということですね。
 中には「知り合いに頼まれて…」「上司から言われて…」で機械的に活動している人もいるでしょうが、それでもやっぱり対面です。

 署名運動を立ち上げたメンバーなら「これこれこういう事情から、こういう署名を集めています。どうでしょうか?」と説得する。
 回り回ってなんの因果かその署名運動に参加しないとならなくなった人も、「いやあ、上司から頼まれちゃって。なんかこれこれ、こういう話らしいんだけど、名前書くだけでいいんですよ、お願いできないすかねえ?」と説得しないとならない。だって実際に署名してもらう相手が目の前にいるわけですから。
 もちろん封書で署名用紙を送受することもできますが、それだって個人的に誰かに手紙を送るのだから、それなりの挨拶と意図は書かないとなりません。やることは対面とだいたい同じです。
 それがオンラインじゃない署名の現実ですが、つまりこれがオンライン署名にはありません。じゃあこれってどういうことでしょう?

【5万人とは何人か】

 山本の署名活動に集まったのは5万筆だったそうですが、この数がどういうものかを、まず考えてみます。
 大雑把に日本の人口を1億人とした場合、5万人とは全国民の0.05%です。ずいぶん少ないというよりも、ものの数に入らないといったほうが早いですよね。そんなものを「民意」とは呼びません。

 とはいえ、この1億には、ネット閲覧がまだできない/禁じられている人や、そもそもネットの存在を知らない/知ってても使えない人も含まれます。日本の人口が1億だとしても、オンライン署名が可能な人数はまあ半分くらいだろうと、考えておくのが無難です。
 加えて、そもそも「ネット」とは「ネットが好きな人」によって利用されているメディアなだけです。利用者数は圧倒的に多いにしても、「マンガが好きな人がマンガ雑誌を読む」というのと、変わらないコミュニケーションツールです。
 署名しようと思えばできる人が5千万人いたとしても、日常的にネットに接してる人はさらに少ないでしょうし、SNSやwebニュースを通してこういった署名活動を知る機会がどれくらいかを考えると、その10分の1の500万人くらいがせいぜいじゃないでしょうか。

 つまり500万分の5万なので、1%です。ぐっと比率が上がりました。これなら結構な人数の気もしてきます。ネット署名が民意を反映しているなら、1億人中100万人が支持するような抗議活動と考えられる数です。今時の国政選挙でもけっこうな議席を狙えます。

 が、

 1%とは要するに「100人に声をかけて、99人から断られる/無視される人数」ということですよね。それが対面での比率だということですが、じゃあこの現実感ってどういうものでしょう?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?