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理知を継ぐ者(37) 現実的にいう②

 こんばんは、カズノです。

【女子大生文化】

「女子大生」=「遊んでる」というイメージが定着したのは80年代ですが、そのまま社会はバブルに進み、その最後の炎をジュリアナで燃やします。ジュリアナのお立ち台に立っていたのは女子大生か若いOLでした。ではバブルと共にこの女性文化が終わったのかといえば、そんなことはありません。

 お立ち台の女性たちは「ギャル」と呼ばれました。ですので「コギャル」が跡を継ぎます。「コ・ギャル」とはそういう意味の言葉です。コギャル世代がブルセラ・援助交際を選んだのは、バブル期のギャルみたいに遊びたい、そのお金が欲しい、からでした。
 その後、時代は一気に不況に進み、援助交際の単価も下がり、もう無くなるかと思っても、これは無くなりませんでした。高学歴・高容姿を望めない少女たちは地下やSNSで性を売るようになり、「名門高校」を出るような、ちひろレベルの少女は『ひとみん』になり「1万円札をばらまく」ようなバブル・コピペを今でもやっているようです。
 要するに、大学入学(ここでは高校卒業と呼んだほうが近いかも知れませんが)を契機とした女性たちの過剰な自己解放欲求、金銭欲、性欲、待遇欲は40年間何も変わらず続いているということです。

 そのバブル期には、「付き合ってる青年実業家から話を持ちかけられ、その気になり、保険金目当てに両親を殺して土中に埋めた女子大生」がいました。彼女は彼との性交渉の際、ラブホのSMルームで吊るされるなどしていたそうです。橋本の『橋』はフィクションですが、フィクショナルではなかったということですね。そして今も。

【大学または成人とは】

 今回の山本のSPA!告発を受け、同誌で名指しされた5校はもとより、すべての大学/学校は同じ感想を持ったと思います。「山本も余計なことしてくれる」。なのでうちだって「なんでカズノは蒸し返す?」と思われるでしょう。
 なぜそう考えられるかは簡単です。「80年代からこちらの女子大学生は、学校運営者の手には負えない」からです。「彼女たちの私生活までいちいち取り締まっていたらキリがない」。日本中の学校/大学がなぜSPA!誌に抗議しなかったかをいえば、抗議なんかしたら「言っちゃった手前、自校の取り締まりをしないとならないから。そんなことやりだしたらキリがないから」ですよね。
 もちろん対男子学生だって同じです。

 元々大学とは学問を履修する場所でした。それがいわゆる「政治の季節」を通り、「政治について考える場」に変化します。「学問より大事なことがある」という風に、「大学における学問」というものが相対化されたわけです。その政治の季節が終わり(72年くらいからですかね)、世の中も豊かになり(高度成長の達成)、いつか大学には意味/目的がなくなりました。77年の新卒社員は「カラオケ型社員」と呼ばれましたが(つまりもうカラオケの普及が始まってたわけですが)、ここらへんから大学は「カラオケでコンパするために行く場所」になります。
 そうして80年代に入り、豊かになった国民はどんどん子弟を大学に送り込み、大学に行った子弟たちは「遊ぶ」以外をしなくなります。周防正行『シコふんじゃった!』は92年に公開された映画ですが、主人公は「講義にまったく出ないまま、コネで一流企業に就職しようとしている(ごくふつうの)男子大学生」として登場します。

 ある時期からの日本の大学とは、「社会に出るまで遊びまくる」場所です。そしてその大学に行くのも「それなりの企業に就職するための肩書きをもらうため」です。もちろん学問を大事にする人もいるでしょうし、それはそれで結果的には多いはずですが、一般的にはそういうものです。
 大学じたいには意味はない、肩書きを発行してくれればそれでいい。それ以外の意味はないんだから、あとは何をしてても勝手。大学に入ってみて、彼らはそう気づく。

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 どうも日本の、主に最高学府には、「家と学校と塾しか知らない、世間の右も左も知らない若者を、享楽生活に堕とす」構造があるらしいと、そういう話でした。
 1万円札をばらまくような遊びを覚えてしまったら、もう高校生までの勤勉も節度も意味を持たない。高い偏差値も内申点も、もうそこではいらない。講師Cがどういう文脈で話したかは知りませんが、おれと似たようなイメージから話しているならだいたい分かります。『ひとみん』は牛丼は食べないでしょう。これは一面の真実ですね。重い。いい指摘だと思います。
 この偏差値・学校ピラミッドの頂点にいるような優等生たちは官僚になり、政治家になります。彼らの政策に、庶民感覚を顧慮する意図はありません。そうして下着をつけていない女性が接待してくれる店で、しゃぶしゃぶをおごってもらっていたりすると。同じように一流大学を出た経済人から。

 そうそう、山本のSNSでは一時期、低用量ピルの保険適用/一般薬局での販売を求める運動が盛り上がってました。享楽生活とまでは呼びませんが、「…まだそんな文化やってんだ、はあ」というのもおれの感想のひとつです。
 もうちょっと勉強していいことがあると思いますよ、ここらへんの話題/歴史には。
 優等生の理想と劣等生の現実主義、科学的言説と感情論・庶民的感傷、そういったものの「格差」がはっきり広がっているのが今の日本ですけれど、その中間にあるような、共有する「何か」もあるのではないでしょうか。



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