横浜高校の天才
どうも!!
浅井企画でグリンオリオンというコンビをやってるかずきです!
スポーツ新聞にあるようなカテゴリーが好きでして、好きな事を好きに書いて、いずれはスポーツ新聞のコラムを書く事を夢にやっていきたいと思っております。
今回は高校野球好きには必ず一度は話題になる悲劇の天才の話。
その悲劇の天才とは
丹波慎也選手です。
数多くのプロ野球選手を輩出してる名門横浜高校。
現役の有名どころだと
横浜DeNAベイスターズの主砲筒香嘉智選手
今年大ブレークの中日ドラゴンズの柳裕也選手
幻の4割バッター北海道日本ハムファイターズの近藤健介選手
平成の怪物中日ドラゴンズの松坂大輔選手。
OBの有名どころは
リアルアウトロー愛甲猛選手
2年連続首位打者鈴木尚典選手
メジャーリーガー高橋建選手
数多くの天才と言われる選手が集まる名門。
そんな名門には悲劇の天才と言われる選手がいた。
丹波慎也選手。
松坂大輔選手の2年先輩。
1年生の頃から期待されて、同学年唯一のベンチ入りなどを果たすが、怪我やスランプによりそのポテンシャルは完璧には出ていなかった。
しかし、2年の夏の新チーム体制では4番エース。
練習試合などで2度のノーヒットノーラン
打撃も打率、ホームラン共に見事な活躍
新チームのスタートとして素晴らしいスタート。
投打共に完全なる柱。
ドラフト注目選手でもあり
184cm 82キロとスケールも充分
勉強もできて
チームで一番練習をする努力家で
誰にでも好かれる好青年
もう完璧すぎる選手!!!!
そんな丹波選手を柱に、横浜高校は秋から夏まで負けずに無敵のチームを作る。
春夏制覇の完璧なチーム作りに燃えていた。
そんな矢先の1995年8月16日
丹波選手は就寝したまま起きる事なくその人生を終えた。
死因は心臓肥大による急性心不全
運命という言葉では片付けられない理不尽な結果に。
未来を嘱望されていた天才は、プロになる事はなかった。
甲子園のマウンドに立つ事もなかった。
エースで4番を失った横浜高校はその年の秋の大会。背番号1を欠番に。
丹波選手に変わってのエースは松井光介選手《後にヤクルトスワローズに入団。今は打撃投手兼スコアラー》
この松井光介選手は松坂大輔選手が高校時代一番尊敬している選手。
エースで4番という大きな柱はなくなったが、横浜高校は春の甲子園に出る事に。
関東大会で幕田選手《後に中日ドラゴンズ》がホームランを打った時
その打席の時だけ風向きが変わり、丹波選手が打たせてくれたというコメントを残してる。
たらればの話だけど、もしかしたら平成の怪物松坂大輔選手よりも先に怪物として活躍していたかもしれない。
そんな丹波選手のレリーフが部員達がお金を出し合って、横浜高校のグラウンドに置かれています。
ちなみに丹波選手にはお兄さんがいて、肩を壊して野球を辞めていたが、弟の死により、意思を継いで野球を再開。
そして努力が実り、眠っていた才能も発揮し、98年にヤクルトスワローズに入団。
漫画タッチのような出来事が現実にあった。
是非丹波慎也選手の事をこのノートをたまたま見た人でいいので、どこかに覚えておいてほしいと思います。
でわでわ
アマチュア野球見に行くマネーの足しにさせてくだせぇ。。。