「ナマケモノ」の存在は人間がいかに解釈で生きてるかをいつも思い出せてくれる。

Judge not, that ye be not judged.
人を裁くな。自分が裁かれないためである。ルカによる福音書より抜粋

太ってるやつは大抵甘いものが好きでめちゃめちゃ食うし、金髪はもれなくヤンキーに違いない。中学生くらいまでは本気でそう思ってた。

けれでも現実は違った。太ってるけど、甘いものが苦手な上にめちゃめちゃ少食のやつがいる。金髪だけど物腰がざる豆腐みたいなやつもいた。実際には肥満は遺伝子で決まるし、金髪は黒髪の色素を抜いているただそれだけの状態らしい。この世界はぼくが思っている世界とだいぶ違う。。それもほぼ全ての起きる事柄において。

思えばこの数年は現実と自分の世界に対する解釈の擦り合わせに時間を使っていた気がする。認識の矯正。正しく世界を見ることへの欲求。

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中でもナマケモノは群を抜いた学びを与えてくれた。あいつには頭しか上がらない。今でも学びをくれる。最高の教師。湘南乃風っぽくいうとダチ。

「1日の18時間を木の上で寝て過ごす」「1日の消費カロリー8カロリー」「体に生えた苔からもカロリー摂取をする」「首が270度回る」

どれもがナマケモノというネーミングにふさわしい行動ばかりだ。自分の体に生えた苔を食うってなんだよ。首が270度回るってどんだけ動きたくないんだ。モアイ像の方がエネルギー使ってるぞ。などと心のボケツッコミ担当がいつも騒ぐ。oh.パーリナイ。

いやいいんだ。別にお前が選んだ生存戦略なんだ。森の中では動いた方が敵に遭遇する確率が高い。そのために代謝を生物界屈指の極小まで落とし、行動範囲は極狭に収める。立派な生存戦略だと思う。別に怠けてるわけではない。数億年かけてお前の遺伝子の努力の結果なのだ。「ナマケモノ」というラベルは人間側の解釈にすぎない。好きに言わせておけ。なぁそうだろ?

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多くの人類は「ナマケモノ」的な生存戦略はとれない。人生には退屈と孤独という病気がつきまとう。逃れられない。不可避。今この瞬間もそうだ。生まれてから死ぬまで退屈と孤独とぼくらは三人四脚で歩む。

ぼくの友人の兄は、月の収入を3万円に落とし実家に住み9:00~17:00まで毎日図書館で時間を潰す。もう何年もそんな生活をしているらしい。ショーペンハウエルが「社交的な人は社交を愛しているのではない。孤独も最も恐れているからゆえに社交的なのだ」的なことを言っていたが実にいい得て妙。

その兄は誰よりも孤独の扱いに長け。退屈を飼いならす。人生における勝ちの定義は知らんが、少なくとも負けではないとぼくは思う。その人だけの生存戦略。とても美しさと哲学を感じる。世間は「負け組」のラベルを貼りそうだけどね。

「周り」とはどういう生き物か?と定義すると「どうこう言う生き物」に着地するのだけど、ナマケモノとその兄には同じ言葉を送りたい。

「あなたの評価は人間側の解釈にすぎない」

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ぼくは23年間生きてきて、動けるデブがいることも知ったしマッチョの泣き虫がいることを知れたことは良かった。ナマケモノには感謝しかない。ぼくは神様でもなけりゃ仏でもないし、裁くにまだきっと早すぎる。そしてなにより裁くことほどこの世にだるいこともないと思うんだ。

おしまい





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