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1日3回風呂の入るという不合理性。結局人間は非合理な生き物なのだからその不合理さを愛しながら生きていくしかない。#雑記

今週はとてもよく風呂に入ってる。数えたら週20回入ってた。なんでそんなに風呂に入っているのか?と聞かれても特にこれといった理由も無い。むしろ理由を誰か教えて欲しい。強いていうなら「気持ちいいから」くらいである。拠点を定めて半年くらい経つが定住は人を非合理にする。1年前ホームレスで転々としていた時は、風呂なんぞは「人間にとって何が大切で何が大切ではないかという本質」を忘れた人間たちの余暇だとすら思った時もあった。けれども今は1日3回は風呂に入っている。風呂に1日3回入る行為はどう考えても非合理であるのだが、やはり快楽には勝てない。なんだか気持ちいい。

そもそも大抵人間の行動の理由は「気持ちいいから」に収束する。脳科学的には酒.SEX.ドラッグ.食事.祈り.社会貢献.仕事.風呂とかなんでもいい。どれをとっても脳から快感物質が出る。人はこの快感物質を手に入れるために、労力や社会的リスクなど様々なものを天秤にかけて人は意思決定をし「気持ちいい」を追い求める。要はみんなかっこいい理由をつけてるけどそれはPRに過ぎず、「気持ちいい」からやっているのだ。そしてこの快感物質自体は善悪を区別しない。問題は快感物質の出し方だ。快感物質の出し方に善悪のラベルを貼るのは人間社会の方である。いつの時代も宗教.法律.社会的道徳観念など快楽物質の出し方に善悪を定めてきた。つまり快感物質をドラックで出せば悪。社会貢献で出せば善なのである。

こうやって快楽フィルターを通して世界を斜めから見ると「世界を良くしたいソーシャル起業家な若者」と「ラーメン→SEX→睡眠の無限ループの三大欲求の奴隷と化している若者」も大した違いはないし、全てが人の営みに見えてくる。

そうすると自分の「1日に3回風呂に入るという説明がつかない非合理性」にも説明がつく上に、合理性が歓迎される資本主義の中でも非合理な人間として生きていく活力が湧く。もっと言えば「ふとした時に何かこれって意味あるのか?と自分に問う自分」を俯瞰し肯定することができる。

こんな話をすると、そもそも合理性とはなんなのだろうか?とか書こうと思ったけど、そんな議論に時間を使うことは非合理かもしれないし、何より長くやると湯冷めしてしまうので、また風呂に入ってくることにしよう。

一筆書きなので誤字悪しからず。

おしまい。




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