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努力は評価されない。

努力は何のためにあるのか。これを読んだあなたも考えてみてほしい。


努力という行動は、評価されない。しかし、努力する姿勢というものは、時々評価されることがある。その違いを理解し、自分と向き合い続けることは、難しいことだ。


高校生の時。試合に出てなかった俺は、とにかくたくさん練習した。どうしたらうまくなれるか。できないことをできるようにするためには、どんなやり方で、どんな練習をしたらいいのか。そんなことを考えていたら、誰よりも遅くまで残って練習する。そんな日々が続いた。ユースの時の俺は、そんなところも評価してもらえた。「試合に出れなくても練習を怠らない」「人と自分を比べすぎず、自分と向き合える」そんなところを人間性として評価してもらえた。自分がどんな立場にいようと、努力し続けられる。そんなところを、チームメイトも評価してくれて、自分のことを尊敬してくれた。


しかし、大学に来てからの俺は、自分の今までの行動に疑問を感じている。


大学では、結果しか求められない。大学に来た時点で、選手として完成している奴が輝く。結果を残せる武器を持った選手が使われ、発展途上の選手は使われない。1試合1試合が勝負な中で、リスクは犯せないのだろう。特にゴールキーパーというポジションは、入れ替わることがあまりなく、チームが勝っていればなおさら出番が来ることは少ない。


俺は、大学で試合に出れていない。理由は、まだ完成していないから。誰にも真似できない。唯一無二の選手になれていないからだ。

自分の掲げる理想にたどり着くためには、努力しかない。強くなるために、できることを確実に積み重ねる。それはユースの時と変わらないし、あの時より今の方が質の高い努力ができる。


しかし、俺は気付いた。自分の中に、見返りを求める自分がいることを。努力を、誰かに見てほしいと思う自分のエゴを見つけた。努力する姿勢は、評価されるべきだと思う。しかし努力という行動そのものは評価されるべきではないし、評価されたいと思ってする努力は努力とは言わない。

俺は自分のエゴに気付いた。これはおそらく誰にでもある感情だと思う。道に落ちているごみを拾って、「いいことがあるかも」と思うようなことと同じで、努力すれば、「いい評価をもらえるかも」と思っている自分がそこにはいた。


最近出会った禅の言葉がある。

好事不如無(こうずもなきにしかず)


意味は、「執着心を生んでしまうのであればいいことさえないほうがいい」

努力を、評価という見返りを求めてしているのであれば、それは間違っているのかもしれない。正しい努力というのは、自分の成長のためにするものであり、自分自身と向き合うものである。努力が評価されるのではなく、努力し、成長した先に結果があり、その結果を評価されるんだ。


俺は、そんなことわかっているつもりでいた。しかし、理解できていなかった。努力の道は長くて苦しい。その苦しい道のりの中で俺は、オアシスを見出そうとしていた。自分の行動に見返りを求め、自分の成長のためといいつつも、その姿勢を監督や、周りの選手に見せることが頭の中にあったと思う。


自分がそうなってしまっていた理由は、いくつかあるが、1番大きいのは、熱量の差をすごく感じるからだ。

大学生は、社会に出る最終段階。全員がプロを目指しているわけではない。だから熱量に差が出る。練習の15分前に部室に到着して、ストレッチもせずに小走りでグラウンドに来るやつもいれば、練習が終わって毎日速攻で帰るやつもいる。練習中も、工夫もせずに同じミスを繰り返す。もちろんそれだけで意識が低いと決めつけているわけではない。速攻で帰ることが悪いことと言っているわけではない。ただ、本気でプロを目指すなら、もっとできることあるだろって思っているだけだ。

そんな、「いろんな選手」がいる中で、自分

に目を向け続けるというのは、とても難しい。そうやって俺は、余計なことに目が向いて、努力の意味をはき違えてしまった。

そんな俺だが、あの言葉と出会って、俺は頭ではわかっているつもりでも理解しきれていなかった努力というものを、また一つ新しい観点から考えられるようになった。また一つ成長。


努力は、いつ報われるかわからない。だから、どのくらい努力すればいいかなんて、誰にもわからない。それを自分で見積もり、見返りを求めれば、「こんなに頑張っているのに」という邪念が浮かぶ。しかし、そうじゃない。報われないのには、理由がある。努力の仕方は間違っていないか。もっと工夫すれば努力の質を高めることができるんじゃないか。もっともっと。そんな思いを常に持ち続けて、努力を試行錯誤しながら、積み重ねていけば、プロという夢に近づけるんじゃないか。目先の小さな見返りを求めるんじゃなくて、その先にあるもっと大きなゴールだけを求めて、行動し続ける。


努力することは当たり前である。

努力する姿勢は、必ず誰かが見てくれている。

努力に見返りを求めてはならない。

努力が実るまで行動し続ける。


俺は必ずプロサッカー選手になる。

そのために、自分のための努力を積み重ね続ける。

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