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不断と普段

心を訓練する、というと、特定の場所や特別な時間を設け、
集中的に行うものというイメージを持つ人が多いかもしれません。

しかし、昔から伝わる訓話に
「行修は不断であれ」
という言葉があります。

この「不断」という言葉を、
私たちの「ふだん」、つまり日常と同意義で捉えることで、
心の訓練の本質について新たな理解を得ることができます。

心の訓練を日常の一部として捉えることは、
私たちの生活に深く根ざした実践であるべきだ
ということを意味します。

日々の生活の中で、
意識的に心を鍛え、
自己を高めることが、
この訓話が伝える心の訓練の本質です。

食事をすること、
仕事をすること、
人と会話をすること、
これらすべての日常生活の行為が、
精神を修行する機会となり得るのです。

この考え方は、
心の訓練を特別なものと考えがちな現代人にとって、
非常に重要な示唆を与えてくれます。

私たちは忙しい日々の中で、
心の訓練のための特別な時間を確保することが難しいかもしれません。
しかし、「行修は不断であれ」という言葉が示すように、
日常生活そのものが訓練の場であると捉えれば、
毎日が精神を磨き、成長する機会となります。

例えば、通勤中にイライラすることがあったとしても、
その瞬間に心を落ち着かせ、
平静を保つ練習をすることができます。

また、困難に直面した時、
それを乗り越えることで忍耐力を養うことができるのです。

このように、日常の中で自然と心を鍛えることが、
心の訓練の真髄を生きることに他なりません。

心の訓練は、
特別な場所や時間に依存するものではなく、
日々の生活の中で、自らの心と向き合い、自己を高めていく過程です。
この過程を通じて、
私たちはより豊かな心を育み、
人生をより深く理解することができるようになります。

「行修は不断であれ」という教えは、
日常を通じて精神を磨き続けることの大切さを、
改めて私たちに思い起こさせてくれるのです。

出典:中村天風一日一話』
https://www.tempukai.or.jp/mail_link/books.recommend/90.html

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