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#6 ミャンマー、ベンガル湾の日常、ロヒンギャとの出会い(1/2)

次はどこに行こうか。僕は次の旅行のプランを考えていた。
コンサルタントとして働いていた僕は、突如取れることになった2週間以上の休みをどのように過ごそうか頭を悩ませていた。
社会人になって、そんな長期休みが取れるとは思ってもいなかった。

アメリカでアメフト観戦なんかもいいなぁと考えていると、
一つの記事が目に飛び込んできた。
『ロヒンギャ難民問題』
何気なしに場所を調べてみると、ミャンマーのラカイン州だった。

ふつふつと興味がわいてきた僕はいろいろと下準備を始めた。
崇高なジャーナリズム精神を持ち合わせていない僕は、観光ビザで取材に行くとか、僕の手で現状を伝えようとは考えていなかった。

一応、国の機関に事前に連絡をすると、
『止められませんが、万が一の保証はできません』
そりゃそうだ。

ロヒンギャはチャンスがあれば会えればいい。
それよりも、この始めて行くラカイン州の人々、情景に興味があった。
100%の知的好奇心で、僕はミャンマーに旅立った。

ラカイン州の州都シットウェ

ミャンマーの最西端、ベンガル湾に面するラカイン州の州都シットウェ。
旧名のアラカン州アキャブの方が、僕にはなじみが深い。
第二次大戦中の日本軍の激戦地だったところで、第一次・二次アキャブ作戦として日本史の教科書に出ていた。
1991年に軍事政権下、現在の名称に変更になったそうだ。

シットウェでは、僕はゆっくり過ごすことができました。
コンサルタントとして全国を飛び回っていた僕は、デジタルデトックスできる瞬間を待ち望んでいました(笑)
朝起きて、近くのカフェに行き、ヤンゴンで買った雑誌を読みながら、コーヒーをすする。僕は、海沿いの静かな港町で余暇を楽しんでいました。
実際、観光スポットはほとんどなく、ネットで調べても”View point”しか出てこないくらいでした(笑)

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そんなシットウェでの僕の日課は、朝は近くのカフェ、昼頃マーケットに行き、夕方はベンガル湾で夕涼みでした。
ありがたいことに滞在していたホテルの従業員がバイクを貸してくれ、
仕事が終わるまでなら自由に使っていい。と言ってくれ、自由に散策できました。

シットウェは港町らしく、漁業が盛んで、町には大きなフィッシャーマンズマーケットがあり、それを中心に街が形成されています。

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マーケットでは、新鮮な魚がそのまま道路に並べられ、買い物客と露店商の熾烈な駆け引きは見ていて楽しくなるものでした。

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ヤンゴンのビルに挟まれた道路での露店と比べると、いくぶん清潔感が垣間見れました(笑)

街の真ん中には大きなパゴダがあり、涼しくなる夕方には多くの街の人たちが集まっていました。
おば様たちはお茶を飲んだり、若者は集まって青春を謳歌したりと、思い思いに過ごしています。
日中は歩けなくなるくらい熱くなるタイルは、夕方になるとひんやり冷たく、井戸端会議をするにはもってこいの場所です。

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ミャンマーの地方都市は街灯が少ないため、夜は早く、夜7時くらいには辺りは薄暗くなってきます。
そして、そんなミャンマーの小さな地方都市シットウェの一日は静かに終わっていくのです。

ベンガル湾の夕暮れ

僕は毎日、夕方にはベンガル湾に夕涼みに出かけていました。
観光スポット”View point”です(笑)
僕が滞在していた街の中心部のホテルからバイクで15分くらい。
こちらも多くの人たちが夕涼みに来ていました。

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僕が滞在していた時は干潮だったらしく、普段より広くなった海岸線を、散歩しながら過ごしていました。

ある日、いつも通り海岸線を歩いていると、
若者20人くらいが、地面に線を引いて何かをやっていました。
10人くらいずつ2チームに分かれて、ドッヂボールのようにそれぞれ外野と内野に分かれていましたが、ボールなど道具は使っていない。
何かのスポーツかなぁ。と見ていましたが、全くルールが想像できませんでした(笑)

「ミンガラーバー、これって何のスポーツなんですか?」
僕はコーチらしい男性に話しかけた。

『ミンガラーバー、これはHtote Si Htoeという伝統スポーツですよ』
彼は英語で答えてくれた。
彼らはTechnological University Sittweの学生で、今度の学内スポーツ大会のために練習しているところだった。
選手はFreshmanの女学生、彼はコーチとして指導しているSophomoreとのこと。彼女らは出場チームの中でも強豪なんだとか。

『10人ずつのチームに分かれて、攻撃は地面に書いた線を越えていくとポイント、防御はそれを死守するんです。英語では”Border crossing”っていうんですよ』
選手の動きに合わせて、僕に解説してくれた。

「へー、軽やかで見事なもんですなぁ」
正直、ルールが複雑すぎて半分くらいしか理解できなかった僕は、軽やかに動き回る若者を見て、感心するしかなかった。

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僕とばかり喋っているコーチに向かって、選手たちが声を掛けてきた。
彼も何か答えていたが、彼女らが僕の顔を見て、こいつは何者なんだという顔を一様にしていた。

「あ、僕は日本人で観光客ですよ」
と答えると、珍しいのか、えー。みたいな反応をしていた。

『ここにはあまり日本人は来ないですから珍しいですよ』

「確かにあまり見かけませんね」

ここに来てから外国人は、ほんの数組しか見かけず、
出会ったのも全て白人でした。
ミャンマーでは、ミャンマー人は伝統衣装のロンジーを着ている方が多く、
顔が似ているアジア人もある程度は区別がつきます。

『良かったら試合見に来てくださいよ』
お誘いいただき嬉しかったが、あと数日後には次の街に移動することにしていた。

「ありがとうございます。でも次の街に行こうと思っていて」
彼は、残念そうな顔をしていた。

「みんなが勝つことを願ってますよ」

『チェーズーティンバーデー、もちろん必ず勝ちますよ!』
彼と勝利を願い固い握手をした。

しばらくして、練習を終えた彼らは、乗り合いのワゴンで寮に戻っていきました。
バイバイー、旅行気を付けてねー、と口々に、ワゴンは小さくなっていきました。

彼女たちと別れた僕は、黄昏のシットウェを惜しみつつ、次の街へ移動する準備を始めました。

(続く)

※Htote Si Htoeの詳細を見つけました。ご興味ある方は是非(英語とビルマ語のみ)。

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