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教えたがりにご用心

マレーシア在住のライター野本響子さんのnote記事は、いつも「ああ、ちょうどそれ感じてたなあ」ってところを、針で刺すようにつついてくれて、気持ち良い発見をくれます。

最近だと、下の記事が特に刺さりました。ぼくにも身に覚えがあります。

実は、ぼくもパートタイムでパントマイムを教えています。恥ずかしながら。
某芸能事務所の養成所で、パントマイムなんてニッチなスキルにも関わらず、もうかれこれ5、6年雇って頂いてます。ありがたや、ありがたや。

これを読んでくれる方の頭の中は、「パントマイムって何するの?」だと思います。

ぼくが教えている生徒たちは、芸人さんの卵達です。
彼らに動きの基礎を伝えて、パントマイムのスキルや考え方を、どうネタ作りに生かしていくかに焦点をあてて、授業をしているつもりです。

ですが、これが教える側、つまり、ぼくの自己満足に過ぎなかったかな、と思うことがよくあります。

こちらとしては、壁とかエスカレーター(みなさんもどこかで見たことありますよね?)などのステレオタイプのスキルは彼らの役には立たないだろうと思い、もう少し踏み込んだ内容の授業をしたとします。

でも、クラスに参加している生徒たちの嗜好やモチベーションは見事にバラバラです。
動きの笑いに興味のある生徒もいれば、動くのなんて恥ずかしい、動くのなんて怠いという生徒もいます。
やる気に満ち溢れている生徒もいれば、見るからに憂鬱そうな生徒もいます。

そんな生徒達に、沢山のことを伝えようと頑張っても、なんだか一方通行だなぁ、と感じることが良くありました。

生徒といっても、20歳前後から30歳まで幅広い年齢層、彼らも一人前の大人なので、一応は授業に付き合ってくれます。
ですが、本当に彼らの中に何かを残せたかというと、なかなか自信がありません。

ですが、ある時、10個伝えて、1個でもなにかを持ち帰ってくれるだけで、充分なのかも、と思いました。

10個伝えて、10個持ち帰ってもらおうなんて、図々しいのかもと。

大人はもちろん、子どもだって、もう自分ってものがあるはずだし、個人の意思を無視して、あーだこーだ言うのは、教える側として、少し恥ずかしい。生徒からしたら、さぞうざいだろう。

私たちはお互いに通じ合うことなどない、という前提に立っていれば、こうした独りよがりの教えたがりは減るのかもしれませんね。

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