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雨なので休息日

本日も雨。
雨の日以外は毎朝竹藪に上り、スコップの持ち手に腕を通して、竹を伝って斜面をのぼり、多い日は20本くらいタケノコを掘る。大変だけど楽しく充実した4月でした。

そして採れたうちから手頃な大きさのものをご近所へ。2、3本ずつ袋に入れて配りに行きます。

ついやってしまうこと

こと、たけのこ配りに限らずなのですが
私は「いやーこんな感じなんスけど!!💦よかったら!!」とか
「迷惑でなければ!!いや全然全然!!」
とか言って、へこへこした態度をとってしまいがちな人間です。

ご近所とはいえインターホン鳴らして泥付きタケノコを渡す緊張と、手間のかかるものだから迷惑かも、という心理なのですが、おそらくこれは
「おいしいから食べて!✨」とか
「今採ったばかりだから柔らかいよ!☺️✨」
とか、そう言ってお渡しした方が良かった気がします。
長年の、自信のなさを誤魔化す低姿勢ムーブが、全ての挙動に定着してしまっているのを自覚しました。

雨の合間に庭の花撮影

低姿勢の副作用


というのも、ちょっと考えさせられることがありました。
お隣さんが、私の採ったたけのこを見て「今日は最低一本欲しい。あとは◯曜日に5本」っていう注文をするようになっちゃったことです。
最初は私が「たけのこいるー?よかったら持ってって」と言い、庭伝いにお隣さんが入ってきて、私が並べた中から2本、3本と選んでいくだけだったのですが

「職場の人にあげたいからさ」と言い、
5本、6本と持って行くようになり
「明日は◯本貰いに来る」と言い、
ある日、出かける用事があるからと断ると、「じゃあアタシが上って採らせてもらっていい?」と。
あれ?そういえば
「今日はどこに持ってくの」
「捨てるほど生えるから大変だよね」
「苦労して採っても食べる所そんなに無いじゃない」
「今年はスーパーでも安いからね」
「アク抜きが面倒じゃん。皆もらっても迷惑だよね」
と言っては職場の人18人にたけのこを持って行き、いつの間にか竹藪を共有しているかのようなお隣さんになっていた‥?!

二階の窓から見る竹藪

そんなことに気づいてから、
私はご近所にあげる分や自宅の分をある程度取り置き、お隣さん最優先にしすぎることを改めました。
それでも彼女が竹藪に入ってきてしまったことがあり、その時はまだ小さいたけのこまで手で折って持って行かれてしまいましたが、斜面の上のほうは確保することができました。
彼女は悪気がないのです。
これは真に、私の「低姿勢」の副産物というか、副作用だなぁと痛感しました。


私が間違っていたこと

名前のついたものは、その自覚を持つといいます。
先日、仕事が休みの夫と一緒に竹藪に上った時、
雑木の少ない柔らかな落ち葉だけの小道を「遊歩道」、平地に降りる場所を「登山道入り口」と呼んで作業しました。
これがめちゃ楽しく、本当にそうなるような気がして、終始笑いながらたけのこを採り、危ない枝などを切って、いつもの三分の一ほどの時間で山を降りることができました。

「いやあ、生えちゃうものなんで」と渡すんじゃなくて、
「おいしいので、よかったらどうぞ」と来年は、素直にウチのたけのこを褒める。
柔らかくておいしいたけのこ、と名前をつけて配りたいなと思った春の終わりでした。










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