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現代版組踊「息吹~南山義民喜四郎伝」を観よう!

 2022年の3月に、現代版組踊「息吹~南山義民喜四郎伝」の喜多方公演の実行委員長を務めた際、開催前に11日間にわたって、SNSで宣伝投稿をしたものをまとめてみました。何人か「SNSを見て、来たよ!」と言ってくれた人もいて、うれしい限りでした。今、見返すと、拙い文章ばかりですが、これからもこの舞台の魅力を語り続けるうえで、お伝えしたい内容です。
 そして、2024年3月の今、息吹の舞台が、関西初の神戸公演を控え、新たな歴史を刻むときです。神戸公演の成功に向けてエールを送ります。
 いざ、会場で落ち合わん!

(※noteへの投稿は、2024年3月と2年の時間が進んでしまっているので、一部、修正したところもありますが、基本的に、当時の目線で語ったもので、年数などは、そのまま、未来に期待する言葉も結果出たものもありますが、そのままになっています。ご了承ください。)


1.はじめに(応援の経緯)

数年前から現代版組踊「息吹~南山義民喜四郎伝」の舞台公演活動を応援しています。「会津南山御蔵入騒動」という今(2022年)から、ちょうど300年前に実際にあった出来事を題材にした舞台公演です。

人を呼び込む公演活動による南会津の地域活性化と、そこで育つ次世代を担う子どもたちの育成を兼ねています。

運営には様々な資金を必要とするので、一部を地域の企業・団体・個人の協賛金で賄いますが、公演自体が有料で極力補助金に頼らず、自主財源を確保して進められ、11年目(2022年時点)を迎える活動です。

がんばる子どもたちは、どこにでもいます。ですが活動に主体性があり、大人の支援に心底感謝し、それに応えるためにも、より一層全力を尽くそうとするところや、地域の中だけに留まっていた歴史物語に光を当て、広く外へ発信し、多くの人を惹きつけ、次世代へつなぐという役割も担っています。

人財育成と地域活性化は地方における喫緊のテーマであり、国を揺るがす根本課題です。この本質的な匂いを感じ取り、ご縁をいただき、出来る範囲でと、応援団の一員に混ぜていただくことになったのが、数年前でした。この「コロナ騒動」で、人の接触の機会が極端に避けられるようになり、観光需要が消え、公演活動には逆風が吹き荒れる中、この活動では、今までにやっていなかった「新たな挑戦」をすることになりました。

会津若松を中心とした新しい現代版組踊の歴史舞台をつくり、2年後に會津風雅堂で初演を、3年後に鶴ヶ城で公演をする!新たな地域活性化への挑戦を大人も子ども一緒になりスタートさせ、間もなく1年が経過します。

次世代育成の取組だからということで、応援団の一員でしかなかった私が実行委員長を務めることになりました。その名も「「感動産業」を創出する次世代育成事業実行委員会」が、新たな舞台をつくり上げる大切な過程で招致するという形をとっているのが、この(2022年)3月26、27日の「息吹~南山義民喜四郎伝」の喜多方公演となります。

単に応援するだけの責任のない立場ではなくなったからということもありますが、皆さまには、よいもの・本物に触れていただきたく、多くの方々にこの感動の舞台を観に来ていただきたいと思います。


2022年3月 喜多方公演の案内チラシ

2.現代版組踊とは?

「現代版組踊」とは、そもそも何なのか?の説明をしていきます。

今から22年前(2022年時点)に沖縄県うるま市で誕生した『肝高の阿麻和利』に端を発し、現在では北海道から沖縄まで全国各地に広がり、全部で17の団体があります。

『肝高の阿麻和利』も「息吹」同様に有料公演ですが、卒業公演の千秋楽は、なんと発売開始から数十分で即完売御礼となる実績もあり、今では「奇跡の舞台」とも呼ばれています。

「息吹」は、この現代版組踊シリーズにおいて、初めて県外で立ち上がった団体・舞台です。そして、17番目の団体こそ、私たち「感動産業」を創出する次世代育成事業実行委員会で、来年度初公演を目指している「チーム獅Leo(レオ)」になります。

活動全体に共通する理念は、「子どもたちの感動体験と居場所づくり、ふるさと再発見・子どもと大人が参画する地域おこし」とされています。

「現代版」とついているように、元である「組踊」は沖縄の伝統芸能の一つです。残念ながらまだ見たことはありませんが、せりふ、音楽、所作、舞踊によって構成される歌舞劇ということです。(その後、見る機会に恵まれました。)現代版においても、そのルーツである沖縄文化の雰囲気を歌詞や掛け声、舞踊の振付に残していますが、それぞれの土地の歴史や風土を衣装や演出にミックスし、これからの次世代が演じるだけでなく、ポップな曲調にリメイクされて、まさに「現代版」と呼べる古さを全く感じさせない舞台となっているのです。

これが他の舞台との大きな違いでエンターテイメント、楽しみの一つの要素であり、見どころです。ですが、何でもある現代社会において、見どころあるコンテンツは、他にもたくさんあります。さて、それではなぜ「現代版組踊」にこだわりたいのか?

それは、活動の共通理念である地域活性化と次世代育成であり、それを全国各地で目指す17団体が切磋琢磨できる独特のネットワークになっていったことにあります。コロナ禍を受け、17番目の感動の舞台を生み出さねばならないと感じている理由もここにあります。

ご紹介しているこの(2022年)3月の現代版組踊「息吹~南山義民喜四郎伝」喜多方公演には、地元である南会津町、金山町、会津若松市、喜多方市、猪苗代町からの外に、沖縄県から21名、鹿児島県から6名、埼玉県から7名、茨城県から3名とたくさんの仲間達が来県して総勢58名、特別出演していただく会津農林高校の早乙女踊り保存クラブなど80名近い小学生~高校生までの出演者が集結する予定です。

発祥の舞台である沖縄県うるま市の『肝高の阿麻和利』は、地元の子ども達だけが役を演じられるようですが、「息吹」に関しては、地元に限らず、沖縄や鹿児島からきてくれた子どもたちが主役級を演じ、また舞台の中心で踊るチャンスがあります。ここに、ただ集まるだけではない切磋琢磨の環境があり、地域が違えばものの考え方が違うということを肌で学ぶことが出来ます。そうした中に生まれるとまどいや葛藤を乗り越え、やがては仲間意識・連帯感が生まれる中で舞台を演じ切ることで、自分達の生まれ育った地域について考え、それを支えている大人たちの姿を見て、支援に感謝し、応えようとまた努力するという好循環が生まれていくのです。そうした流れにおいて、成長していく子どもたちを見られることにも、支援者側の大きな感動があります。

公演の存在そのものが、人を集める活動として、地域活性化に貢献するのはもちろんですが、活動を通して育つ次世代が未来の地域に貢献し、また感動を共有した大人たちが行動を変えて生きていくのだとすれば、多大な地域活性化の効果がここにはあるのではないかと私は信じています。(大人の行動が問われています。)

そして、地域の歴史物語を発掘し新しい形で光を当てるということそのものも地域活性化の要素であり、いろいろな形で、人財育成と地域活性化を実現しているのが、「現代版組踊」に共通する理念なのです。いかがでしょうか?「部外者」の大人が本気で支援をすることで、いつの間にか「部外者」でなくなっていく活動の魅力の一端が少しでも伝われば幸いです。さぁ、ぜひご一緒いたしましょう!

3.歴史物語を演じることの効果

今日は、歴史物語を演じることの絶大な効果について考えてみます。

17団体ある現代版組踊を行うチームの特徴の一つとして、地域に住む子どもたちが、その土地の歴史物語を演じることがあります。この効果は本当にたくさんありますが、「演じることで、本当の意味で歴史を、地域を知ることになる」ことが大きいと思います。

地域の歴史の勉強は義務教育の過程に、それなりに組み込まれています。でもちょっと聞いただけでは、あまり興味を持てず、素通りしていく子が多いのではないでしょうか。

「百聞は一見に如かず」。博物館などでの「体験学習」もあります。ですが、これもやはり素通りしてしまいがちです。そこで「百見は一体験に如かず」。なのです。見たり、聞いたりして得られるものよりも、体全体で体験したことの方が百倍定着します。

中国古典『大学』に「格物致知」という言葉がありますが、現実世界で物事にぶつかって(すなわち体験を通して)知識は本物として身につくものだと、2500年も前の昔から言われてきたわけです。

舞台での演舞を通して、歴史物語の登場人物の心を疑似体験することで、この人物は何を思って生きたのか、なりきることで想像し考えることになります。これは年に一度か二度しかまわってくることのない公演でのチャンスを掴んだ子はもちろんですが、仮に掴むことがなくても自分だったらこの登場人物をこんな風に演じるかなと考えて、想像してみることを自然に繰り返していくことになります。

こんな役を演じたいという思いが、こんな風に生きていきたい、生きなければという今後の人生を支える「原体験」として刻まれていくのではないかと想像できることでしょう。

体験させてくれる、想像させてくれるという「演劇の教育効果」はとても高いのです。

また実際にあった歴史物語であることもポイントの一つです。現代版組踊のテーマの一つとして選ばれたことで、その人物像に光が当てられていった事例がいくつもあり、歴史上の解釈すら見直された例まであります。実話の歴史なので、少なからず、その土地に顕彰碑や御墓等が「史跡」として遺っていたりするものです。子どもたちは、演じるにあたって、折に触れ、舞台の登場人物達がどんなところで生きてきたのか、現代に遺る史跡をめぐって振り返ったり、大人の話を聴く活動もしていきます。

「息吹~南山義民喜四郎伝」では、南会津、奥会津の大変広い地域の江戸幕府直轄の「御蔵入領」での出来事がテーマとなっています。民衆を代表して犠牲となり、義に生きた民達のそれぞれの御墓を車でめぐった子ども達は、義民たちそれぞれがとても遠く離れた各地域を代表していたことを知り、驚きます。

そして、車も新幹線も飛行機もない時代に、雪深い奥会津から江戸まで、いくつもの山を越えて歩いて陳情を訴え出たことの厳しさを想像し、そうまでして何を守りたかったのかについて思いを馳せるのです。

演じることと現代社会に生きることを交互に織り交ぜながら当時の生き方を想像していけば、目の前の小さなことで悩んでいた気持ちが晴れてくることもきっとあるでしょう。もちろん、同じような学びを公演の観劇から、大人もちゃんと想像力で感じ取ることができます。ぜひご一緒に楽しみましょう!

4.「息吹~南山義民喜四郎伝」のストーリー

そろそろ大切な「息吹~南山義民喜四郎伝」のストーリーを紹介します。この舞台は、今から300年前に起こった悲劇の農民一揆「南山御蔵入騒動」を題材としています。(2022年時点)

南山御蔵入領とは、現在の南会津全域と大沼郡の大半、河沼郡の柳津の一部を含む広範囲にわたる会津南山地方を指し、会津藩祖保科正之公が23万石を拝領した際に、この南山1万5千石は、徳川江戸幕府の直轄地となりました。年貢が江戸幕府の「御蔵」に直接入ったため、「御蔵入」と呼び慣わすようになっていったそうです。

さて、1720年秋、その南山御蔵入の農民が一揆を起こす。年々要求が厳しくなっていく年貢の内容や納め方に限界を感じ、800人余りの百姓が田島にあった代官所を取り囲むことから始まりました。

翌年1月、百姓代表15名が江戸へ登り、幕府勘定所へ訴状を差し出す。御法度とされる直訴状が受理されたことに期待を高め、後登り18名が加わり、領内全域の総意として一揆態勢が整えられます。

領内271村が結束強固な組織力で資金を調達し、代表33名の江戸訴人を支えた。数カ月に及んで江戸に滞在して抵抗する百姓達に当初は軽くみていた幕府首脳も事態を憂慮していく。収拾のため、資金源を断とうと、村人たちの結束を分断させるべく代官陣屋を会津藩兵が取り囲む中、一人ずつ呼び出して取り調べを行う。処罰を恐れ、「強制された」「村八分を恐れた」と態度を豹変させる百姓たちが表れ、皆が望んだ一揆であるという大義は崩されていく。

1722年7月に幕府は、農民を扇動して一揆を策謀したとして、一揆の首謀者とみられる名主3名、小栗山村の喜四郎を含む百姓3名は斬首され、見せしめのためさらし首にされた。(ほか9名が取り調べ中に江戸で牢死)
ただし、村人たちに厳しい要求をしていることは認めざるを得ない部分もあり、直接要求を認めるかわりに、直轄領から会津藩への預け支配に切り替えることで、百姓達の要求は概ね実現されることとなる。

南山の民のため、大義に身を捧げた6人の死は決して無駄にはならなかった。こうして、この地域を支えた犠牲は、郷土の誇りとして語り継がれる物語となったのである。

詳細は、チーム息吹の公式Webサイトをご確認ください。
https://www.minamiaizu.jp/ibuki_okurairi.html

この「御蔵入騒動」の根本部分のストーリーは、初演から変わらず継続して演じられ、現在11年目に突入しています(2022年時点)。私たちは、これを「100年続く魂の舞台」に育てていくべく応援しています。

なお全く同一の舞台というわけでもなく、いまは、「戊辰150年version」として、ストーリーテーラーなどの台本の変更がなされ、舞台の作りこみは回を重ねるごとに、常に磨かれています。

今から300年前、おかれた環境の厳しさを受け入れ、自ら行動を起こし、信念を持って命を使い、南山に生きる民の為に、大義を掲げ燃え尽きた人生とその世界観を子ども達がどのように演じて見せてくれるのか。

本物の生き方に触れ、何を表現し、伝えてくれるのか。見ないとわからない魂の舞台です。
ぜひご一緒に喜多方公演で受け取りましょう。

後に、編集・公開されたダイジェスト動画をご覧ください。

5.同じ舞台を続けていくことの意義

「息吹~南山義民喜四郎伝」の大筋のストーリーをご紹介し、同時に、題材も台本も基本的には同じ舞台で、ロングラン公演を目指していることを説明いたしました。では、それはなぜか、どんな意義があるのか、お伝えしていきましょう。

極論すれば、私たちは100年続く「魂の舞台」に磨き上げ、地域に資する感動産業の創出を目指しています。だからこそ、1回盛り上がって特定の層のみに、わずかな影響力を与えるだけで満足するつもりなどないわけです。ですが、産業の創出に至るためには、演じ手側の独りよがりで舞台を提供して押し付けていてもうまくいくはずがありません。エンターテイメントとしての楽しみ、そしてなによりも「感動を要求する」観客側に全力で応えていかなければなりません。

もちろん、何度でも観ていただく価値があると自負していますが、これについては、先日、プロデューサーの下村一裕さんがズバリ語っていらっしゃったので、そのFacebookの投稿内容の一部を引用してご紹介いたします。


「息吹の舞台は 何度演じても同じ舞台ではない」
「なによりも違うのは演者です」
「たとえ 同じストーリー同じ台詞であっても 人の成長が同じ舞台にすることはない」
「これまで24カ所53回の公演を ご覧いただいていればわかりますが 同じメンバーが再び全員揃うこともないです」
「それぞれ卒業だったり いろんな環境変化があったり 新しいメンバーが参加したり 補欠のいない みんなで参加するこの舞台は 一人メンバーが入れ替わっても 雰囲気が変わる」
「「魂の舞台」を合い言葉に  進化する舞台と本気の出演者で挑みます」

3月の公演は、その年高校を卒業した3年生にとって、
最後の出番となる卒業公演です。
この先、二度と「息吹」の舞台に出ることはありません。
4回の公演の中で、配役や立ち位置は変わります。
当然、千穐楽に向け、感情の高ぶりも変わってくるものです。

もっと言えば、観に来て下さる方々の顔ぶれが変わることによっても、会場の空気がかわり、それらが演じ手にも影響するともに作り上げる舞台であるべきだし、そうだと言えます。
またこの舞台は感動を売りにした舞台です。同じセリフを同じように聴いたとしても、聴き手の立場や状況によって何をキャッチするかは変わります。

同じ映画を何度も観たり、作品について友人と語り合うことは
一つもマニアックなことではないと思います。
今回の公演では、子ども達がどのように演じて見せてくれるのか。
何を表現し、伝えてくれるのか。
客席を満席にすることで、得られる感動、熱量は変わります。
ぜひご一緒に喜多方公演を観劇し、語り合いましょう。
そして、毎年感動を受け取りにきてください。

6.オリジナルの楽曲の存在

「100年続く魂の舞台」を支える音楽についてお伝えいたしましょう。

現代版組踊シリーズの舞台を特徴づけているのが専用のテーマソングを含めた本格的なオリジナルの楽曲にあります。中でも「ダイナミック琉球」は各チームの壁を越えて共通して歌い踊られています。「ダイナミック琉球」は現代版組踊の生みの親である平田大一さんが作詞を行い、イクマあきらさんが作曲しています。他にも多くのテーマソングがこの二人により生み出されています。
2008年に行われた一度きりの舞台のためにつくられたそうですが、これを支援していた方々から「沖縄の子どもたちがエイサー演舞で踊れるような曲にしたい」という声が上がり、現代版組踊の皆で踊れるテーマソングとして取り入れていくことになったようです。

余談ですが、「ダイナミック琉球」は、甲子園をはじめ、様々なスポーツの応援歌としてアレンジされていて有名な歌でもあります。心を熱くさせるリズムは、確かに応援歌にぴったりですね。

2008年の時点で、現代版組踊の舞台は、既にいくつもつくられていましたが、各地域の舞台のテーマソングだけではなく、共通して踊れる踊りがあるといいねという風に出来上がっていったそうです。

現代版組踊は、発祥が沖縄であるため、当然、思いっきり海が舞台の楽曲ですが、息吹は、南会津の山で、冬は雪が降る土地の物語で、さすがに合わないため、歌詞を変えて「ダイナミック息吹」として演舞しています。

すでにご案内した通り、各地の現代版組踊チームから、垣根を超えて、子ども達が集まってきます。何度も交流して、お互いのことを知っているメンバーもいれば、交流は初めてで、緊張している子もいます。

こういうときに、共通の演舞が出来るということから生まれる一体感はとても心強いものがあります。そして、実際の舞台でも、そこから築き上げていき、大いなる一体感を生み出します。
脚本の元となるストーリーも大切ですが、それを如何に魅せるかというとき、オリジナルの音楽を持っているというのは、大きな幅に繋がっていくものです。

そして、今度の喜多方公演では、来年初公演を予定している新作舞台のテーマソングとなる新曲を冒頭に披露する予定となっています。各地区からたくさんの子ども達が集まり完成させていく舞台はただでさえ混沌としたところから始まりますが、そこに新曲のお披露目も加わっています。

でもこのような混沌を乗り越えて、表現が整っていくからこそ、大きな達成感と感動を得られるのだと思います。テーマソングに合わせて魅せてくれる一体感と躍動感をぜひご一緒に楽しみましょう。

7.役割分担、分業制

それぞれの舞台にオリジナルのテーマソングがあり、それだけでなく舞台の垣根を超えて現代版組踊に共通するテーマソングもあることをお伝えしました。音楽の話題を続けながら、役割分担、分業制というシステムに触れてみます。

舞台を支える音楽という演出は、劇中のテーマソングに合わせた華やかな踊りの部分に限りません。生バンドによる挿入曲、挿入歌そして、ユニークな効果音などが、演出を大きく支えてくれています。現代版組踊らしいと言えば、太鼓が多用されているというところもあると思います。闘うシーンなどでは、大きく迫力を添えてくれます。

また太鼓といえば、「息吹」では、同じ南会津の下郷町を拠点に活動している「大川渓流太鼓保存会」の方々と初演からずっと舞台でコラボレーションを続けてきました。ボーカルを含めた生バンドも、太鼓も、プロまたはプロに近い専門家の方々の力をお借りして本物として成り立っています。

現代版組踊の他の団体では、バンド演奏も子どもたちが担うこともあるので、様々ですが、「息吹」では、子ども達は踊りや役者という役割に集中するという役割分担を行い、分業制で舞台が成り立っています。

踊り手も空手や剣舞等が混ざったような力強い男性アンサンブルと麗しさ華やかさで美しく魅せる女性アンサンブルと2パートに分かれます。
他にも脚本や演出、照明など様々なところで大人の力を借りているわけですが、できることを、できる人が、一所懸命にやり尽くすことで、よりよい成果を出すことが大切であって、全てが子ども達の手によるものでなくてはならないわけではありません。

貸していただける大人の力はしっかりとお借りして、自分達では成し得ない演出を味方にして、そうした舞台に立てることを喜び、支えて下さる方々に感謝して、気持ちに気持ちで一所懸命に応えることで最高の舞台にしていこうというものだとご理解ください。そして、それが伝わることがすなわち感動するということに繋がっていくのです。

また何でもやります!だと参加のハードルを上げるかもしれませんが、一つを突き詰めるのでいいんだとわかれば、参加のハードルも下がるでしょうし、クオリティも上げやすいと言えるかもしれませんね。そのようにして育った子どもたちの本気、真剣さを是非感じていただきたいですね。

8.特別出演、コラボレーション

音楽の話題を続けつつ、役割分担、分業制によって演舞する子ども達がより輝けるように工夫されているというシステムについて触れてみましたが、もちろん、この形がベストかどうかは環境によって決まってくると思います。

「100年続く魂の舞台」を目指し、感動産業として根付いていくためには、もっとたくさんの参画者が必要だと考えています。仲間が増えていくたびに、最適、最善の形を求めて進化し続けていくからこそ、続いていく舞台になるのでしょう。

さて、分業制の中で、息吹では、同じ南会津の下郷町を拠点に活動している「大川渓流太鼓保存会」の皆様と初演からずっと舞台でコラボレーションを続けていることにも触れました。これは舞台の演出に組み合わさっていますが、他にもご縁があって特別出演していただく場合もあり、広く柔軟な交流活動が行われています。その形には、可能な限り制限なく、これまでも県外の茨城県の小美玉琉球部さんや栃木県の学童の子ども達などなど幅広く様々な方々に参画していただき、2022年3月の喜多方公演でも、地元会津坂下町にある会津農林高校さんの「早乙女踊り保存クラブ」の皆さんが特別出演していただきます。(後の、2022年8月の越谷公演にも同「早乙女踊り保存クラブ」さんは特別出演してくれました!)

こうしたコラボレーションを行い、機会を提供するのは、他でもない自分達「チーム息吹」も過去何度も他団体の舞台や活動の場に、特別出演をさせてもらうことで、発表の機会を与えていただき、認知を拡げ、また自分達のモチベーションを醸成して、今日までやってくることができたという「ご恩返し」「ご恩送り」でもあります。

他の現代版組踊の公演でコラボレーションさせていただいたときに、元の団体の活動をしっかりと観させていただき、自分達もあんな風に輝きたいと思った原体験があってこその「今」なのです。また、「チーム息吹」の活動に混ざっていただいた小美玉琉球部さんのメンバーが埼玉県越谷での練習に参加し、舞台に立つようになってくれるといったことも起きています。

例えば、今回も「早乙女踊り保存クラブ」に関わる方々、応援されている方々で初めて息吹を鑑賞する方が必ずいると思います。その方々一人ひとりに感動が届くことで、何に繋がっていくかは無限の可能性があります。もちろんその先に、「100年続く魂の舞台」があると信じています。
そして、本喜多方公演のオープニングでは、昨日もお伝えした通り、来年の初舞台に向け、「チーム獅」が新曲のテーマソングの演舞を初めて披露します。こうした積み重なりが後の素晴らしい舞台に繋がっていくという「生まれたての瞬間」を見られる貴重な機会です。毎回、そのときにしかない「感動」を受け取りましょう。

喜多方公演の場で披露した「吼えろ獅」の実際の演舞の様子↑

9.有料公演のこだわり

コラボレーションが豊富で、かつそれがお互いにとってのよき機会の創出になっているのですが、それがあろうとなかろうと、恥ずかしくない舞台をするためにも「有料公演」の形をとることに、「息吹」では、大きなこだわりをもっています。

有料でなければ、無料という選択肢しかないわけですが、何をするにもお金はかかるものです。場所代、衣装代、大道具代、音響・照明その他演出に関わる費用、専門家やスタッフに人件費、広報・PRに係る費用などなど。
有料公演でなければ、何でこうした費用を賄えばよいか。
「出演者側」で参加費用を負担したり、「関係者」がボランティアスタッフとなる。もちろんこのような自主的努力がないわけではありません。
他には、趣旨目的を説明して、共感していただき、様々な形での協賛を募ります。活動の趣旨に地域貢献があり、感動産業の創出していく過程として、支援の輪が大きくならなければ、活動の輪が拡がらないため、当然大切ではあります。
とはいえ、いただけるご支援という位置づけであって、最大限、ご縁に感謝するのですが、本来、決して当てにしてはいけないものとも思います。
そして、ここまででは足りない部分を見に来て下さるお客様に求め、お支払いいただいています。
むしろ反対で、お客様にお支払いいただく分では足りないところを協賛や自主的努力で補ってよりよい活動を目指しているという感じでしょうか。

お金を払ってでも観たいと思える舞台でなければ、人に感動していただける舞台にならないし、人財を成長させる空間にもなり得ないし、地域に資する感動産業へも育たないということです。

他にも自治体や行政に地域活性化の意義を訴えて支援していただき、公演を実現するという方法もあります。私達「感動産業を創出する次世代育成事業実行委員会」では、まさに次の舞台を創っていく活動に必要なまとまった資金の一部を福島県のサポートをいただき、実現させていくことを目指しています。
ですが、補助金ばかりに頼っていると、もしその補助金を集められなかったときに、活動の原資は途絶えてしまうことになりますし、お客様が全くいない客席に向かって本気の演舞を行うことができるでしょうか。お金を払っていただくことで、お客様にも客席から舞台づくりに参画していただいています。そして、満員の客席に向かい、「(お金を出して観ていただき)ありがとうございました」が言えることで、子どもたち自身も感動し、心の底から感謝し、もっといい活動をして貢献しようと奮い立つのです。

子どもの舞台と聞くと、どうしてもお金を出して観るに値するのかという疑問がわく方もいらっしゃるようですが、「観ないとわからない舞台」と呼ばれる舞台なのです。騙されたと思って、体感しにきていただきたいです。
是非ご一緒に、喜多方公演を楽しみましょう。ぜひ満席にしていただきたいです。

このようなCM(ショートムービー)もメンバーである子どもたちが
自主的に創っています。↑

10.活動の趣旨は人材育成

これまで何度も「感動産業」として成り立っていく活動であるがゆえに、また私も応援する立場であるがゆえに、関わる大人の側のものの見方を強調してきました。ですが、活動しているのは、子ども達であり、次世代の人財育成という活動目的は相当に大きなものです。如何に素晴らしいプラットフォームが出来上がっていたとしても、そこに立つ子ども達が不在では、何の意味もありません。

具体的にどんな風に子どもたちが育成されていくのか。活動目的、テーマの一つとして「「できない」を「できる」に変える人間力を身に着ける」という言葉が多用されます。「できなかったことができるようになる」とは、すなわち「成長する」ということです。

現代社会は、とにかく型にはまった人間を育てようとする節がありませんか?でもたくさん失敗をして、実践から学ぶことでこそ、可能性を拡げていくことができるはずです。できるまで挑戦すれば、いつか達成できる。失敗してもいいからどんどんやってみよう。そういう環境を与えてもらえるかどうかが、その人の可能性を大きく左右します。

「できない」を「できる」に変える人間力を身に着けるのは容易なことではないけれども、「できる」と信じて行動するから何かが身につくということを体感できるのは、やってみなければわからない世界なのです。だからこそ、「できそう」と思える場に身をおけるか、「できるよ」「やろうよ」と前向きな声をかけあえる仲間がいるかが大切でしょう。

他にも「一生懸命はかっこいい」というテーマもよく掲げられています。

昨今、世の中は多少混沌としてきてはいますが、何十年も前にくらべれば圧倒的に豊かになり、それなりに満たされやすい時代環境の中で、何か「一所懸命に」打ち込めるものを見いだすことが難しいという子どもたちが多いように思います。でも昔と変わらず、日本人として感受性豊かな「素材」は、誰もが持っています。人の話を真剣に聴いて変わろうと思うきっかけを与えてもらえなかっただけなのではないでしょうか。最初は半信半疑でも活動を始めるうちに、のめりこんでいく子どもたちが多く、どんどん成長していく姿を見られるのは、観る側の楽しみにもなるでしょう。

小学生~高校生までの多様なメンバーが力を合わせてつくる舞台です。置いてきぼりになる子がいないように、いろいろな背景を持った子どもたちが集まれる居場所がつくられています。子どもが成長する環境とはどのようなものか、是非その目で確かめてください。

少し古いですが参加メンバーの感想です。↑

11.感動産業の創出

もう一度、私の立場を明確に表明いたしますと、現代版組踊の「息吹」という人財育成であり、地域を元気にする活動に触れ、地域の担い手の一人として、純粋に応援したいという想いを持っている一個人です。(顔晴る子ども達に感化されたわけです。)

そして、少し踏み込んで、応援する活動の輪に混ぜてもらうことになったところに、この「コロナ騒動」が起こりました。部活動などもそうですが、子どもにとっての「今」は、二度と戻ってこないかけがえのない瞬間です。活動の支援が強く求められる情勢において、新たな舞台を立ち上げる企画が生まれました。次世代育成の活動であるがゆえに、応援団の中でも若手の方である私が企画の実行委員長を拝命することとなり、僭越ながらその立場にチャレンジさせていただきました。

その新舞台の立ち上げを目指す過程で、招致するという形をとって開催されるのが、今回(2022年3月)の喜多方公演になります。ですので、是非多くの方々に観ていただき、「息吹」公演自体の成功と、来年以降に続く足がかりを得たいと思っております。

何よりも今回は、この「コロナ騒動」の渦中あっても、県外から多くのメンバーがこの活動を大切に思い、自身も感動を得たい、そして多くの皆様に感動を届けたいと思って参画してくれています。その気持ちに全力で報いたいと思っています。

さて「感動産業」とは一体何であるか。子ども達が活動の中で磨かれていき、「「できない」を「できる」に変える人間力を身に着ける」という目的を達成できれば、この上ない「感動」を実感できます。活動に携わる子ども達の気持ちの良い笑顔や挨拶をみていれば、文句なく感じることが出来ます。活動に送り出している保護者の方々もわが子の成長によく驚いていらっしゃいます。

ですが、顔晴る子ども達はどこにでもいます。子ども達が活躍するフィールドも本来はたくさんあるのです。極論すると舞台の成否に関係なく、子ども達を成長させることはできそうです。では、この活動が地域を変える「感動産業」になっていくというポイントは何があるのでしょうか。

会社経営をする立場からみれば、どんな商売も一人よがりではやがてはうまくいかなくなるものだと心得ています。一つの産業を目指す以上、この活動もこれに同じです。すなわち近江商人の三方よし「買い手よし、売り手よし、世間よし」がここでも成り立つものだと考えます。

売り手は、演じ手である子ども達とし、買い手は、舞台の観客や支援していただける方々であるとしましょう。演じる子ども達の満足度が高まるのは、やりたいことをやるという一人よがりの舞台をするということではありません。お金を払って見に来て下さったお客様や活動を応援してくださった支援者の方々も含めて、感動する舞台を提供できるように「一所懸命に」舞台をつくりあげることです。観ている側も単に充実したエンタメを要求するのではなく、子ども達の成長やひたむきな姿勢を応援し、受け取ることで感動し、感化され、魅せられることで舞台の完成に参画することができます。

こうして共に創り上げた双方に「よし」とする舞台は、人が集まる場を生み出し、地域の活性化に繋がり、次の機会へ延々と続いていき、やがては地域を豊かなものにする「感動産業」へと育っていくことで、地域に資する「世間よし」に至るものなのでしょう。

大きく分ければ、三方ということで、もっと細かく分ければ、プレイヤーはたくさんいますが、産業に至る過程が見えてくるのではないでしょうか。
教育と観光と文化の融合という言葉も使っていますが、立場の違う人々が合わさって、共創していく活動がやがては産業として根付いていくというイメージをお持ちいただき、是非それをご自身の目でみていただければ幸いです。
実際のところ活動の応援歴はさほど長くはないので、私自身がこの活動の本当の魅力にまだ気づいていない部分が多々あるのではないかと思っていますし、それをこれからも見届けていくことを楽しみに応援しています。これまで語らせていただいたものは、この活動をつくり上げてきた多くの先輩達や一所懸命に演舞している子ども達から、見聞きしてきた受け売りによるものです。表現の乏しさから伝わりづらい部分が多々あったかと思いますし、間違いもあったかもしれませんので、現時点の私の見解ということでお許しください。

11回連投にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
是非実際に舞台を観ていただき、なるほどこういうことが言いたかったのかと納得していただければ嬉しいです。一度じゃわからなかった方は、夏にも越谷で公演が決定していますし、来年以降の新舞台も見続けてください。
ということで、まずはもう来週に迫る喜多方公演でお会いしましょう(笑)

と、このように、2022年3月の喜多方公演前に、Facebookの個人ページへ、公演に観に来ていただくための勧誘投稿を載せてきました。そして、喜多方公演を観に来てくださった方々が、2023年8月に長野県伊那に、2024年3月には兵庫県神戸市に、息吹を招いてくださいました。急ピッチで立ち上がっていく企画に、集客が追い付かないのが現実ですが、「出来ないをできるに変える」をモットーに、聖なる難儀に、関係者一同、向き合い続けています。

いよいよ来週に迫りました。この3月末は、神戸公演でお会いしましょう(笑) 


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