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忘れかけていたことを、思い出させてくれた。 『君の膵臓をたべたい』を読んだ感想

みなさんこんにちは。

住野よるさん『君の膵臓を食べたい』を初めて読んだ。
今回はその感想を書いていこうと思う。

この作品から学んだこと

私は、この作品を通して、二つのことを学んだ。

  • 誰かへの気持ちは、言葉にして伝える。

  • いつ死んでもいいように、後悔のないように毎日を生きる。

『君の膵臓をたべたい』とは

おそらく、日本人でこのタイトルを知らない人はいないのではないだろうか。
と思うくらい有名なタイトルだ。
まず、この小説について紹介していこうと思う。

君の膵臓をたべたい』は、住野よるさんによって書かれた小説。
2015年に刊行された。
著者は高校時代から執筆活動を開始しており、本作がデビュー作だ。
2016年「本屋大賞」で第二位を受賞。
その後、2016年にオーディオドラマ化、2017年に実写映画化、2018
年にはアニメ映画化されている。


ストーリー

ある日、病院に来ていた高校生の主人公「」は、『共病文庫』と書かれた、一冊の文庫本を拾う。
それは、主人公のクラスメイトである、「山内桜良」が書いた秘密の日記帳だった。
文庫の中には、彼女が膵臓の病気にかかり、余命いくばくも無いことが書かれていた。
そんな時、文庫を読んでいるところを、山内桜良本人に見つかってしまう。

誰も知らない彼女の病気の秘密を知った「」と、「彼女」の、奇妙な日常が始まっていく。

そんなストーリーだ。

誰かへの気持ちは、言葉にして伝える。

この小説は、とても悲しい、儚い物語だった。
読んでいて、何度も胸が締めつかられる思いだった。

しかし、同時に、私に大事なことを思い出させてくれた作品でもある。

一つ目。『誰かへの気持ちは、言葉にして伝える。』だ。

物語が進む中で、主人公と桜良は、次第に惹かれあい、心を通わせていく。
それは、友人とか恋人とか、そういった言葉で表せられるものではなかった。

二人は、お互いを必要としていた。

余命いくばくもない彼女に、秘密を知ってなお、自分と接してくれて、自分に「日常」を与えてくれる『』。

人と関わりを持とうとせず、小説の中に自分の世界を見出していた僕に、人との関わり、非日常を与えてくれた『桜良』。

この二人は、お互いに憧れ、その人になりたいと考えていた。

私は、この小説を読み終えて、「やっぱり、気持ちを言葉にして伝えることは、本当に大切なことだ。」と、思い出した。

妻への感謝の気持ち。
愛しているという気持ち。

両親への感謝の気持ち。

仕事場での、嫌なものには嫌。という気持ち。

色々ある。
どれも、自分の中にある、『正直な自分』だ。

それを、言葉にせず、相手にわかってほしい。察してほしいというのは、傲慢なのだな。と、気付かされた。

以前までの私は、妻との会話中、機嫌が悪くなると、黙ってしまうことが多かった。
「俺は今機嫌が悪いから、放っておいてくれ。」と、心の中で呟いていた。

しかし、それは相手にはうまく伝わらない。
ますます場の空気が悪くなってしまうだけだった。

この小説を読んでからは、「気持ちを素直に伝えよう。」と思えた。
それからは、日々の感謝の気持ちや、自分が嫌だと思ったもの。それを、妻に正直に伝えるようにした。
すると、そこから新たな会話が生まれるようになった。

人間、いつ何がどうなるかわからない。
愛している人が、突然目の前からいなくなるかもしれないし、そうではないかもしれない。

だから私は、そんな時に後悔しないよう、自分の気持ちを言葉に出して伝えていきたい。

いつ死んでもいいように、後悔のないように毎日を生きる。

もう一つ、この作品が思い出させてくれたことがある。

それが、「人間はいつ死ぬかわからない。」ということだ。

だから、「いつ死んでもいいように、後悔のないように毎日を生きる。」ということを、気づかせてくれた。

作中、主人公と桜良は、色々なところへ旅行に行ったり、次々と新しい遊びに取り組む。
桜良は、楽しんでいた。主人公も、なんだかんだと彼女についていく。

私は、この作品を読む前、ある先入観を持っていた。

この『君の膵臓をたべたい』は、タイトルから察するに、悲壮感漂う作品なのかな…。ということを考えながら読み始めた。

しかし、それは違った。

作中、余命僅かの桜良が悲壮感を漂わせることはなく、いつも元気で、明るい存在だった。そんな彼女を淡々と受け止める主人公。

そんな二人を見て、この作品は、悲壮感を感じさせる作品ではない。ということを強く感じた。

人は、いつ死ぬかわからない。
何十年後かもしれないし、明日か、今日か、ほんの数分後かもしれない。

しかし、だからといって、悲観しながら生きなければならないということではない。

日々を楽しめばいいのだ。

新しいことに挑戦して、楽しいことをして、愛する人と過ごす。
今、自分は生きている。』と実感できる毎日を送ることこそ、幸福と呼べるのではないか。

私は、この作品での主人公と桜良のやりとりから、そのことを学んだ。

君の膵臓をたべたい。

この作品を読み終わって、この言葉の意味が、ようやくわかった。

作品のネタバレになってしまうので、細かくは触れないでおく。

最後に、一つだけ。

私の祖母の話だ。
私は、生まれてからずっと、祖母と暮らしてきた。
そんな祖母が、2年前、膵臓がんで亡くなった。

私は、この作品の『膵臓』という言葉に、祖母のことを思い出していた。

祖母が亡くなって、私はどうしようもなく悲しかった。
もっと話したかった。

今でも、そう思う。

祖母の遺言に、こう書かれていた。
これからの長い人生、大人としてよく考えて、人生を楽しんで。

今、この『君の膵臓をたべたい』という作品を読んで、そのタイトルの意味を理解した上で、改めて祖母の言葉を思い出す。

後悔して死んではいきたくない。

自分の気持ちを言葉に出して相手に伝える。
後悔のないように、日々楽しんで生きる。

この二つを思い出させてくれたこの作品には、感謝しかない。

この作品は、確かに悲しいストーリーだ。
途中、あまりの悲しさに読む手が止まってしまったこともある。

しかし、読み終えてみると、心の中に心地良い風が吹き込んできたかのような、そんな爽やかな後味があった。

ぜひ、多くの人に読んでほしい、素晴らしい作品でした。


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