「エモ」という概念について。

私がエモという言葉でイメージするのは、ただの暗さや短調とは少し違う、ノスタルジックやセンチメンタルに近いイメージである。
和訳すると「切ない」であろうか。

私は前衛的な曲を嗜む一方、エモい曲も大好きである。

特に私は、志方あきこさん、霜月はるかさん、みとせのりこさん、中恵光城さんなどの、所謂「同人音楽」にジャンル分けさせるであろう方々の曲が心の底から大好きである。

私は幼少の頃、クロノトリガーの音楽が大好きであった。

特に『マールのテーマ』や、『ラヴォスのテーマ』の途中に出てくる哀愁に満ちたフレーズ(ここが重要である。メインテーマはエモくない。)
が大好きで、繰り返し聴いていた。

上述の「同人音楽」はゲーム音楽の曲調に歌詞を乗せて歌われているので、かなりエモくて沁みてしまう。

聴いて泣いてしまうこと多々ある。

ちなみに「ゲーム音楽≒プログレ」だと思ふ。


私は「エモ」という概念を確立させたのは、クラシカルの印象派や近代音楽のような気がしてならない。

印象派・近代音楽には、以前のロマン派にはあまり見られなかった、ただの短調では無い、エモい和音やスケールが多様されている。

ラヴェルの「亡き女王のためのパヴァーヌ」などはその代表曲だと思ふ。

また「短調≒エモ」という式もなりたちそうだ。

印象派や近代音楽は、後の現代音楽と同時に「エモ」という概念も生み出してしまったというのが私の持論である。


ちなみに、私の私淑している音楽家の武田理沙さんの『Pandora』という2枚組の1stアルバムでは、1枚目は「エモい」要素が強く、2枚目では前衛的な面を全面に押し出している。

武田理沙さんも印象派に大きく影響されたことが音楽にも顕れているのがとても解る。


纏めると「エモ」というのは古いような新しいような…面白い概念である。

ちなみに、私は「エモバイオレンス(激情派)」というジャンルがとても大好きで、envyやOrchid、Saetiaというバンドをひたすら聴いていた。

現在はAmpereというバンドを推している。

これからも「エモ」でカタルシスして生きて行こう。

一歌

魁罡の仔鹿 in 忘却の廃墟

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