骨董と平松壯さんとおちゃのハードル

●骨董
昨日は、骨董の勉強会へ。
テーマは古染付と初期伊万里。

おちゃから骨董が好きになったものの、自分の中に好き嫌い・買える買えないの物差ししか持っていない状態では、骨董のもつ奥行きが霞んでしまうし、ただ所有欲を満たすことが目的ならば、好きになる意味が無いので、学んでます。

おちゃもそうだけど、学べば学ぶほど

やっぱりこれも焦ったところでどうしよもない世界。
知識として「分かる」から、「腑におちる」までは長い時間が必要。

なので、自分の寿命はわからねども、少しずつでいいから知識も経験も増やしていきます。今回は諸事情により生徒は自分だけで、濃密すぎて鼻血出るかと思った。骨董はそれが持つ圧と厚がすごい。特に伝世品は醸し出す雰囲気の圧で、御飯がのどを通らなそう。

何事もそうですが、ちゃんと自分の頭で考えてこそ、その愉しみがわかります。
陶片も勉強になるので、今回はこの初期伊万里陶片を連れ帰りました。

古帛紗は、染織家 渡邊紗彌加さんの作品。

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●平松壯さんの個展
千駄木の箒星さんから、行く度に現代陶芸のことを学んでいます。お人柄そのままのお店であることも相まって、安心して長居してしまいます。

今回、平松さんと初めてお会いしました。写真家であり、陶芸家。そして金繕いもする平松さん。特に個展テーマは「継ぎもの」であるため、興味津々。

うつわの継ぎかたは、それぞれの意志が出ます。

平松さんは「綺麗」に継ぐことの先をめざし、いまは、本当に景色にあった継ぎとは何かを追求していらっしゃいます。

私は金継ぎをしますが、いまは師匠の元に通っていないので、現在の他の方の継ぎを見る機会がほとんど無く(写真では分からないし)、ちょっと継ぎを見たくて渇いていたところでした。今回の機会は非常に嬉しく、ありがたい時間。

急遽、箒星さんの中で平松さんの酒杯を使っての飲み会となり、久しぶりに気持ちよいお酒でした。ありがとうございました。

この小さく銀継ぎがしてあるうつわを求めました。
今夜は狭山の抹茶を点ててます。

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●おちゃのハードル
おちゃの世界にどっぷり浸かっていますが、浸かっている側にいても、ハードルを感じる瞬間があります。

例えば
教え方だったり
情報の少なさだったり
偏りだったり
(しかも上記は相互に影響し合う)

それぞれのハードルを無くす、下げる方法はあるけれども、嗜好品であるおちゃは、本当に様々な思考が行き交う場所でもあるので、正解も不正解も、特に存在しません。

でも、自分が感じたハードルは、誰かにバトンを渡すときにはできる限り取り除いて渡す。私はいつもそれを頭に置いて、お話しをします、手を動かします。それが続いていけばいつかハードルは無くなると、暮らしにおちゃが残っていくと、信じてます。

もちろん

そのハードルがビジネスになっている部分も大いにありますし、つまびらかにして、詳細を明かにすることがハードルを下げることになるか?と言われると、100%イエスとは言えません。

ハードルを感じている側が
考える必要がある場面も、もちろんあるためです。

なので、おちゃについて考えること、やることはまだまだ存在します。こんなに古いのみものなのに、まだまだ課題があるって最高です、課題があるからおもしろい。

おちゃが好きになって10年目の今年。

10年前と比べると、おちゃへの感じ方や捉え方が変わっているのを実感しますが、あの日と全く変わらないのは、おちゃがこんなに好きだということ。

もう、おちゃが好きなのは、性さが、です。

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おちゃは喉をただ通過する液体ではなく、
心の内側へ入り込んでくるこの液体は、
私たちを、脳が発達したにんげんらしく
考えることを促します。

スマホの電源を切り
おちゃを口に含み、味わってみると

時間がかかることや、難しくて答えがすぐ出ないことも
おもしろいなって思えてくる。

答えはすぐ知りたくない
考える、予想する、想像する
技術が発達し、その余白すら無くなる時代が訪れませんように。


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