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第3合『宝石好きのイタリア人』:酒役〜しゅやく〜

 大学通りに唯一ある酒屋さんでは、老爺の店長さんがこの上ない笑顔で、僕たちに日本酒を試飲させてくれている。
「さぁさぁ、お兄さん。次は、これなんかどうですかぃ?」
 店長さんが、日本酒の瓶を冷蔵庫から取り出しながら、ソニアに微笑みかけた。
 ソニアも微笑みに応じ、歳の差推定50歳のアイコンタクト劇場が、俺の目の前で繰り広げられる。

 店長さんが新しいプラカップを取り出し、いま俺たちが手に持っているプラカップとの交換を促した。店長さんが瓶の蓋を開け、傾ける仕草をしたので、俺は素直にプラカップを差し出した。その横で、ソニアもプラカップを差し出す。
 俺の方が先に差し出したはずなのに、店長さんは、ソニアの方を先に注ぐ。しかも多めに。
 ――――成功の秘訣は『ジェントルマン』や――――
 どこからか、聞いたことのあるフレーズが、聞こえてきたような気がしてすぐに消えていった。

「いただきます」
 口に近づけたときに、ほんのりと果実のような香りがした。
 飲み口は爽やかでいて、それでいて芳醇な旨味。
「……おいしい。これが…………日本酒? ソニア! これが日本酒なんか?」
「これが、日本酒ですよ」
「こんなにおいしい日本酒。いや、こんなにおいしい飲み物は初めてや」
「だから言いました。『坂倉くんは、日本酒のことを、知らない』って」
 ゆっくりとグラスを傾けてソニアは、その日本酒を口に運んだ。

「こちらは、ソニアちゃんがウチで1番好きな日本酒なんですよ。ね?」
「はい。その通りです。私が、このお店で、1番好きな、日本酒です。だから、これを、紹介してくださった、店長さんが、私は、大好きです」
 完全に垂れ下がった店長さんの目尻は、加齢のせいか、それともソニアのせいか。
 そんなことはどうでもいい。
 とにかく、これは、おいしい。これが日本酒というものなのか。

「こちら、秋田県のお酒で、『翠玉の特別純米酒』です。ソニアちゃんや他の日本酒サークルの子たちにも、とても人気があって、ウチの売れ筋商品なんですよ」
「ん? 日本酒サークル?」
「はい。ソニアちゃんが代表を務める日本酒サークルの他の子たちにも……」
「そんなサークルがあったん!? しかも、代表!?」
 俺は、想像もしていなかったソニアの姿を知った。

「坂倉くんも、よろしければ、日本酒サークルに、入りませんか? あ、だけど、坂倉くんは、日本酒が、そこまで好きではありませんでしたね。すみません。忘れてください」
 いやいやいや。忘れられるはずがない、この胸のときめきを。
 こんなにおいしい日本酒を飲んだあとだ。答えは決まっている。
「ぜひ、お願いします!」

 晴れて、日本酒サークルのメンバーとなった俺を、店長さんは祝福した。
「ところで、お兄さん。『翠玉』って、なにか分かりますかぃ?」
「いえ、わかりません」
「エメラルドのことですよ」
「エメラルド?」
「宝石のエメラルド。『愛の象徴』です。私はソニアちゃんの姿が、どうも、エメラルドと重なるんですよ」

 たしかに考えてみれば、ソニアはエメラルドみたいだ。
 ちょっと乱暴だけど、愛に溢れた女性。傷つきやすいところも含めてピッタリだ。
 俺は、「翠玉」を味わって飲んでいる、そのエメラルドの笑顔を、もっと輝かせられるようになりたいと思った。

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