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最高で最愛の大分トリニータ

残念ながら優勝にこそあと一歩届かなかったものの、大分トリニータは2位で今季のJ2リーグ戦を締めくくり、ぼくの目の前で6年ぶりとなる悲願のJ1昇格を決めた。

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2018年11月17日 J2リーグ最終節、試合終了のホイッスルが鳴り響いた後も、大分トリニータの選手たちとぼくたちサポーターのアディショナルタイムは終わっていなかった。
昇格を争うライバルチーム達が他会場で試合を続けており、その結果次第によって優勝やJ1昇格、あるいはプレーオフ圏の3位以下に転落することが決まるというシチュエーションだったからだ。

トリニータのゴール裏では、ぼくを含めて多くの人たちが他会場の試合経過を無心に追い続け、誰かが「決まった!」と叫んだのとほとんど同時に、選手たちが喜びを爆発させる姿が見えた。

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後半ロスタイムに同点に追いつかれ、目前に掴みかけていた優勝を逃しての2位フィニッシュ。
なんて締まらない結末だろうと思われるかもしれない。
実はぼくもちょっとそう思う。(苦笑)

けれど最終節までもつれた大混戦のJ1昇格争い、2位〜4位までが同じ勝ち点に並ぶ中で、着実に積み重ねてきた得失点差が掴んだJ1行きのチケットは、なんだか今季の大分トリニータが歩んできた道筋を象徴する結果であるようにも思うのだ。

大分トリニータの栄光と挫折

ぼくの出身地・大分県を本拠地とするプロサッカークラブ大分トリニータは、今からちょうど10年前の2008年に絶頂の時を迎えていた。

ヤマザキナビスコカップ優勝

怪我で離脱がちだった高松大樹がエースの本領発揮とばかりに、ここしかないという舞台で決勝点を上げ、2−0で清水エスパルスとの決勝戦を制して悲願の初タイトルを掴み取った。
その後の波乱万丈な先行きをこの時のぼくはまだ知るよしもなく、誇らしげにカップを掲げる選手たちに惜しみない賞賛を送ったことを覚えている。

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ナビスコカップ制覇の翌年、大分トリニータは本拠地・九州石油ドーム(現:大分銀行ドーム)の芝の張り替え失敗による環境の悪化、相次ぐ主力選手の怪我などに見舞われ、前シーズンの栄光から一転してJ2リーグへと降格する。
しかしこの時、本当のどん底はまだ始まったばかりだった。

発覚したのは、およそ12億円にものぼる債務超過。
2009年シーズン中に明るみとなった深刻な財政危機は、チームの存続そのものを揺るがす過去最大の悪夢となった。

トリニータがこの世からなくなってしまう。

そんな絶望的な考えが頭をよぎった。

結局トリニータは、大分県、Jリーグが設立した公式試合安定開催基金、地元金融機関などから度重なる融資を受けながらギリギリのところでチーム消滅を回避。
ユース出身の生え抜きを含む主力選手を大量放出し、果てしない借金返済生活に陥りながらもチームを存続させることができた。

しかしこの財政難はこの後も長くチームに影を落とし続けることになる。

再びのJ1昇格、そしてJ3降格

悪夢の降格から3年後、田坂和昭監督の手腕の下、チームは再びJ1の舞台に返り咲いた。

このシーズンから導入されたJ1昇格プレーオフ、大分トリニータは決勝で相性最悪のジェフユナイテッド千葉と対峙することになったが、後半途中出場の林丈統がドラマチックな決勝ゴールを決めてリーグ戦6位からの大逆転優勝。J1昇格を手にした。
ループシュートがゴールに吸い込まれるのを横目に林が両手を広げ、サポーターに向かって一直線に走り抜けた勇姿は、これからもずっと忘れることはないだろう。

しかしここでも立ちはだかったのはチームの財政難だった。
昇格を果たしたはずのトリニータは、J1で戦うための十分な戦力補強を行うことができなかったばかりか、チーム得点王として昇格に大きく貢献した三平和司をチームへ残留させることすら叶わなかったのだ。
トリニータは翌年、シーズンを通してわずか2勝、そしてJリーグ史上初めてホームゲーム未勝利という屈辱的な成績を残して再びJ2へと降格することになる。
(当時在籍してくれた選手たちのことは今でも応援しているし、大分に来てくれたことも感謝している)

そして2015年、かつての昇格の立役者である三平の帰還とともに再度のJ1昇格を目指したシーズンは結果として惨敗。
FC町田ゼルビアとのJ2/J3入れ替え戦にも破れ、J1経験チーム・タイトル獲得チームとして初のJ3降格という不名誉な記録がチームの歴史に刻まれることとなった。

片野坂トリニータの挑戦

「恩を返す時が来た」

選手時代かつて大分でプレーしたその男が、監督就任にあたってこの言葉を表明したとき、ぼくは涙が止まらなかった。
サンフレッチェ広島やガンバ大阪といったJ1の強豪で、コーチとして輝かしい指導者経歴を重ねてきた片野坂知宏が、J3へ降格したチームの監督として大分に帰ってきたのだ。

大幅に削減された予算・J3という環境・主力選手の流出、山積した課題に直面しながら最後まで苦戦したトリニータだったが、J3降格後もチームに残留した松本怜や新エースとして覚醒した後藤優介が獅子奮迅の活躍を見せる。
シーズン終盤に怒涛の5連勝でJ3リーグを制し、片野坂監督はチームを1年でのJ2復帰へと導いた。

優勝決定の瞬間、両拳を握りしめて地面に突っ伏した指揮官の姿を見れば、いかに重い重圧に耐えながらこの瞬間を迎えたのかは想像に難くない。

J3優勝と同時にチームのレジェンドである高松が引退を表明してチームを去ったが、代わりに林容平小手川宏基刀根亮輔丸谷拓也など、かつてトリニータで活躍した選手たちが再び集結。
着実に歩みを進めてきた片野坂トリニータは2018年、ついにJ1昇格プレーオフ圏内の6位を目標に掲げてシーズンに挑み、逆境を共に戦ってきたサポーターとリーグ最多得点の攻撃力を武器に怒涛の快進撃を見せる。

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「ベンチに入れなかった選手も含め、30人全員で戦う」

監督がそう公言してきたことを裏付けるかのように、今季ホーム最終戦、昇格に向けて絶対に落とせない正念場に最後の切り札として投入されたのは、出番に恵まれず9試合ぶりの出場となった川西翔太だった。

同点で終えるかと思われた試合終盤、その川西が個人技による突破から放ったシュートは、まるで針の穴を通すように、それでいて誰も触れることのできない魔法のような軌道を描いてツエーゲン金沢のゴールネットをゆらし、J1昇格を大きく手繰り寄せる決勝弾となった。

最終節こそ勝利で飾れなかったものの、度重なる逆境とチーム消滅の危機を乗り越えて、大分トリニータはJ3に降格してから僅か3年という驚異的な早さでJ1行きのチケットを再び掴んだのだ。

これからもずっと、大分よりの使者として

ずっと同じチームを応援し続けていたとしても、選手の新加入と退団を毎年繰り返す中でチームはだんだんと姿を変えていく。

それだけに大分の黄金期にベテランとしてチームを支えた西山哲平が強化部を率い、かつて大分に在籍した片野坂を監督に招聘してこのチームを作り上げてきたことは、なんだかとても感慨が深い。

もう10年前のナビスコカップの栄光を知る選手は小手川しか残っていない。
前回昇格時にピッチに立っていたのも、当時期限付きで在籍していた三平と丸谷くらいだ。

これからもきっと、選手たちの移籍や引退を経てチームは新しく生まれ変わっていくのだろう。
けれど願わくば、いつかぼくがしわくちゃのお爺ちゃんになったとしても、変わらず大分トリニータのゴール裏に立っていたいと思う。

青いユニフォームに袖を通し、タオルマフラーを天に掲げ、未だ見ぬ未来のトリニータ戦士たちのチャントを口ずさみながら。


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