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小諸市を歩く④~小諸城大手門・資料館

小諸編、最終回は小諸城大手門に行きます。
2階は資料館になってました。


小諸城大手門

 近世初頭の大型の城門として、日本の城門の発展過程を知る上からも貴重な歴史的建造物であり、平成5年に国の重要文化財に指定されました。

 大手門は、小諸城の表玄関(正門)にあたり、これより先が城内となります。江戸時代初頭の慶長17年(1612)藩主仙谷秀久による小諸城整備の一環として造られました。瓦を三河から牛の背に乗せて運び、大工を江戸から招いたといわれています。入母屋(いりもや)造。本瓦葺(かわらぶき)の豪壮な構えが特徴で、正面鏡柱は欅で約70cm×50cmあり、二階の部屋にある「居館式」と呼ばれる携帯です。弘前城の追手門と並び東日本を代表する大手門です。一回は堅牢なもんですが、二階は襖(襖)によって二室となる書院風(しょいんふう)の様式で、内法長押(うちのりなげし)、猿頬天井(さるほほてんじょう)、蟻壁(ありかべ)などの造作が見られ安土桃山時代の贅沢な気風を感じさせます。

 明治時代には料亭や島崎藤村が赴任する以前の小諸義塾の仮校舎として利用されましたが、平成16年から20年の保存修理工事で、享保5年(1720)の図面にある姿に復原しました。

配布パンフレットより


史料の写真

※許可を得て撮影しております。

大手門の位置

 小諸城は武田信玄の家臣山本勘助が縄張をしたと伝えられ、全国でも珍しい「穴城」と呼ばれています。普通の城と違って城下町より低い傾斜地の末端に気づかれています。「田切地形」という自然が作り出した深いU字状の谷を巧みに利用し、西側に千曲川の断崖よ要する要害堅固な城です。大手門は小諸城の中で一番高いところにあります。

パンフレットより


保存修理業前の大手門


青森弘前城の大手門


歴代小諸藩主


仙石越前守秀久(小諸藩初代藩主)


大手門実測図

 上の絵図は、小諸城の大匠棟梁(だいしょうとうりょう)石倉芳輪(いしくらほうりん)が書き残した享保5年(1720)修理の記録で、平成の大修理に大いに役立ちました。平成16年から平成20年まで4年の歳月をかけて行った保存修理工事は、建物を全解体し、必要な部分を修理し、鯱(しゃちほこ)や大扉を復原したため、大規模な工事となりました。

パンフレットより


出土菊瓦


『小諸のまち物語』


『小諸城の門』


『田切地形と利用した「穴城」の小諸城』


アクセス

JR小海線・しなの鉄道 小諸駅徒歩1分


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