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『モナ・リザ』を観る人と『スポーツ』をする人の思考——。“2つの事実”にどう向き合うべきか?

例えばサッカーをプレーする選手の「思考」と、美術館で芸術作品を鑑賞する人の「思考」には、どのような共通点があるだろうか。共通点が見えれば、そこから相違点を探ることもできる。勝ち負けがあるスポーツ競技と、勝ち負けが存在しない芸術鑑賞は、一体何が異なるのだろうか——。

▼前回の記事(Vol.2)


■「競争」と「闘争」の関係性

私は18歳から21歳まで東洋医学を学んでいた。学校も卒業し、国家資格も取得している。それでも1年くらい勉強した段階で「自分にこの道を極めることはできない(欲が湧いてこない)」と悟ったわけだが、やはり、学んだものが人間を裏切ることはない。この『Competition and Struggle Theory(競争闘争理論)』(以下CST)は、東洋医学の考え方と一致する部分が多いからだ。

前提として、ここでもまずスポーツ競技を『競争』『闘争』の2つに分類したように、物事を単純化し「○:○」に分けて掘り下げていく思考を私は好む。東洋医学からヒントを得た形で、『競争』と『闘争』の関係性を図で表すと以下のようになる。

これは「陰陽太極図」「太極図」と呼ばれるもので、一度は目にしたことがある人も多いかもしれないが、この図は東洋医学においても、また『CST』においても非常に重要な役割を果たす。


■陰陽太極図と『CST』

上記した「陰陽太極図」は同学問において最も根本的な概念である。世の中の万物は「陰と陽」のエネルギー(気)に分けられ、「表と裏」「上と下」「白と黒」という形で、万物が分類(割り振り)されている。身体における器官や臓器に関しても同様である為、この「陰陽のバランスを整えること」が東洋医学の治療指針にある基本的な考え方である。これ以上の東洋医学について細かい説明は省くが、この『CST』を理解する上で最低限理解してほしいことは以下である。

①:陰には陽が、陽には陰の要素が含まれる=競争には闘争が、闘争には競争の要素が含まれる
②:陰と陽の均衡が崩れたとき、何かしらの問題が発生する=競争と闘争の均衡が崩れたとき、何かしらの問題が発生する

これから『CST』によって分けれられた各競技分類において、それぞれの性質や特徴を説明していくわけであるが、上記した図および①と②の前提は常に頭に入れておいて頂きたい。

ただし『CST』を理解し、サッカーの正体を把握する上で、難解な東洋医学の知識が必ずしも必要ではないことはもとより、全てが東洋医学の考え方に沿って理論化をしたものではないということは、ここで一度確認をしておきたい。


■「2つの事実」

前回の記事では人間(競技者)の「思考」全体の段階を整理し、「思考態度」「思考回路」「実行」の3段階を定義した。その上で、「思考態度のエラー(Mindset Error)」を起こしている状態で競技を行なっている競技者のことを、それぞれ「競っていない」または「闘っていない」と表現するとした(詳しくは前回の記事を参照)。

『CST』はこの「認識」から「実行」までの段階を正しく踏むための初期段階にある考え方だが、上の図にはもう一つ付け足さなければならないことがある。この3段階(人間の思考)には「2つの事実」が存在していることだ。

ある物事を把握するためには「事実」と「それ以外」を分けて考えなければならない。『CST』における思考の3段階においては、「認識」の前に(前提の前に)「事実」があり、また「認知」の前にも(過程の前にも)「事実」が存在している。その「事実」は客観的であるため、誰がいつ見ても基本的には変わらないものであるが、それを「認識」または「認知」する段階で「ズレ」が発生する。「意味付け」という作業が入るからだ。

これを別の表し方をしたのが、既述している「どのように捉えるか?」であり「どのように考えるか?」である。


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