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自己認識を難しくする「アドバンテージ」とは——日本サッカーは強いの弱いの?金になるのならないの?

ある戦略を立てる際、現在地の把握(自己認識)がもっとも重要な要素の一つとなります。しかし時として、様々な要因が複雑に絡み合っている物事に関して、私たちは自分が立っている場所を正確に把握することが難しい場合があります。何が要因で私は今ここに立っているのか。何が要因でここまで来れることが出来たのか…。日本サッカーは、もしかしたら今、そういう状態にあるのかもしれません——。


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これまで長く続いていた、サッカーの競技人口が右肩上がりに増えてゆく局面は終わりを迎え、既に日本全体の大幅な「人口減少(少子高齢化)」に合わせて「競技人口が減少していく」段階に入っているということを、前回の記事で確認しました。そのような「日本サッカーの大前提」が変わっていくにあたり、これまでは(競技人口の急増によって)何とかなっていたような事柄が、これからは何ともならなくなるではないか?と、現在日本サッカーにある「危機感をもって然るべき」項目について、いくつか言及をしました。

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前回書いたように、サッカーというスポーツにおいて日本がこれからも発展を止めないために(少なくとも保っていくために)は、『競技としての価値(強いか弱いか)』および『商業としての価値(金になるかならないか)』という2つの基盤がより重要になっていきます。


■2つのアドバンテージ

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日本という国で何かしらのスポーツを発展させるにあたって、日本の「人口の多さ」「経済力の高さ」が大きなアドバンテージになることに疑いの余地はありません。この2つは、他の多くの国よりも日本が圧倒的に上回っている点であり、サッカーを日本で発展させていくにあたっても充分にその恩恵に与ってきたと言ってよいでしょう。

日本おけるこれまでの「海外のマーケットにのぼった(海外に日本人選手が移籍するようになった)」という実績は「日本の経済力」と切り離して考えることは出来ない。選手を獲得することによる「日本のマーケット獲得」が選手獲得の動機に大きな影響を与えていたことは明らかである。『人口減少×サッカー』 Jリーグ経営戦略と日本サッカー成長戦略に強いられるパラダイムシフト より

欧州主要国以外の国々にとって、自国の選手を欧州に移籍させることは、あらゆる点で大きな目的の1つであることは間違いありませんが、日本はその点で他国にはないアドバンテージを持っています。少なくとも、いずれ訪れていたであろう「その時(欧州のマーケットの目に触れるとき)」が多少なりとも早まり(もしくは機会が増え)、それらが日本サッカーの発展を助けたことは、まず間違いないでしょう。加えて経済力の高さは、競技インフラを整えやすいことにも直結します。さらに人口の多さは経済力とは切っても切れない関係にありますし、もちろん母数(人口)が多い方がサッカーにおいて優秀な人材が出てくる可能性は高くなります。


■国際問題による影響

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「サッカーとは、グローバルスポーツでありグローバルビジネスである」

ここで今一度確認しておきたいのは、何度も指摘している通り、サッカーというものは「世界」でプレー(競技的・商業的)されているものであり、世界のルール(競技的・商業的)で動いているものです。いくら島国とはいえ、私たちがサッカーをプレー(競技的・商業的)するのであれば、全てにおいて世界の基準である必要があります。「日本サッカー」や「Jリーグ」が単体で存在するということは幻想であり、ある分野では世界基準で、ある分野では日本基準で…という考え方は、実質不可能であると言えます。国際問題やその流れは、日本にも必ず影響を与えているからです。

例えば、これまで「人口の多さ」に伴う「経済力の高さ」によって欧州のマーケットに早い段階で絡むことができた日本サッカーでしたが、現在は、以前とはまた異なる形で、欧州のマーケットに良くも悪くも影響を受けています。


■移籍市場における動機の多様化

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『ここ1,2年の欧州移籍市場に見られる大きな特徴は、本来の目的たるべき「チームの戦力強化」よりむしろ「移籍そのものを通じた利益の増大」に軸足を置いた選手の売買が増えていることにある。中略 事実、クラブのマネージメントや強化責任者の間でも「プレーヤートレーディング」という言葉が当たりまえのように使われるようになってきている。』月刊フットボリスタ 2019年10月号 文 片野道郎より

日本でも把握されているように、近頃は欧州の移籍ビジネスに変化が起こりました。これまで以上に、選手の獲得・放出の動機が以前よりも多様化し、選手がその名の通りビジネスの手段として扱われるようになっています。日本の選手も、欧州クラブの一つの選択肢であることは間違いありません。

私は日本のサッカー選手が昨今のように若いうちから海外へ出てプレーをすることに対して、全くネガティブに捉えていません。むしろ良い流れであると考えています。「若いうちからJリーグを経験せずに海外へ行くと失敗する」というようなことがよく言われますが、本当にそうでしょうか?これまでの日本サッカー全体の経験値(そのような形で海外に渡った選手の例)がまだ少なすぎるので、現段階で答えを出すのは軽率と言えます。それに対しての工夫も未だされていない状態ですので、余白は十分にあります。また「選手として」以上に「人として」若いうちに海の外を見ることは非常に重要な経験となります。

ただし、現在のように「世界の流れが変わっているのにも関わらず日本の状況は変化していない」という状態は、絶対に避けなければなりません。現在進行形で起こっている「欧州に選手は移籍するが日本に(所属していたクラブ)に全く(ほとんど)お金が落ちない」という状況は、これからの未来を考えると決して起きてはいけないことだったのです。私たちは何かが「起きてから」対応しようとするきらいがありますが、それでは、特にサッカーのような目まぐるしく状況が変わる世界では、今後は決して生き残ってはいけません。


■「移籍市場アナリスト」の必要性

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「欧州に選手は移籍するが日本に(所属していたクラブ)に全く(ほとんど)お金が落ちない」という状況は、今に始まったことではなくこれまでも起きていたことです。「世界基準の選手を育てる」という目標を口にはしておきながら、それを持続的に可能にする仕組み(資金)を作ろうとしてこなかったのは、非常に奇妙に思えます。

「選手に値段をつけるのがどうだ…」「若いうちにプロとして扱うのがどうだ…」など、日本の倫理や価値観を最優先にすることが、変化をしないための都合の良い言い訳として使われてきました。それが今は、欧州のビジネスに日本人選手がフィットしたことによって「顕著に現れている」だけのことなのです。何かが起きてから「勉強しないと」など言っているうちは、全くもって遅いのです。あまりに遅すぎるのです。

日本のように、地理的、文化的、または言語的に欧州各国と遠い距離にあるような国には「移籍市場アナリスト」のような専門的分野を設け、人材を育成し、常に欧州の移籍市場がどのように推移しているのかを各国ごとに分析し、またどのような流れになっていくと予測できるのか、主観ではなく可能な限り客観的観点から分析をし続けることは、マストだと私は思います。いちクラブの人間や、いち代理人ではどうにもならないことです。仮に日本サッカーが国をあげて常に「国際的視点」で移籍市場を把握していたのであれば、「青田買い」の流れは事前に予測ができていたかもしれません。

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もちろんこれは、サッカーが好きな子供たちを守るためであり、選手を守るためであり、クラブを守るためであり、指導者を守るためであり、日本サッカーを守るためです。つまり「2つの基盤」を作り続けるために、世界の移籍市場を正しく把握することは、非常に大きな意味を持っているということです。


■日本人選手の立ち位置

これから高みを目指す上で考慮しなければならないのは、日本人選手全体の世界における立ち位置は、未だ不透明であり、不安定であるという点です。これは正しく戦略をたてることを難しくします。

冒頭で書いたように、日本サッカーが欧州のマーケットに絡み始めたことの裏には「日本の経済力の高さ」がありました。つまり日本人選手を獲得することによる日本市場の獲得です(クラブの周知度拡大、物販、日本人のスタジアム観戦…etc)。

そして現在はそれにプラスして、移籍市場のさらなるビジネス化に伴い、日本人選手の「値段の安さ」に対しての「質の高さ」(コストパフォーマンス)が良いこと、が深く関わっていることは誰が見ても明らかです。日本の若い選手たちにそれなりの金額がのっていた場合、どのような状況になっているのかは定かではありません。

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1.日本の経済力の高さによる日本市場獲得の狙い
2.日本人選手の安さに対しての質(コストパフォーマンス)の高さ

常にこの実力とは異なる「お金に纏わる点」を考慮しなければなりません。

また前回の記事に書いたように、日本の選手育成に深く蔓延る数々の問題点や、指導者養成における問題点(詳しくは後述)などを考慮すると森保監督のように日本の指導者が思ってしまうことは、根拠が曖昧で、甚だおかしなことのように思います。


■これからの段階

これから日本サッカーは「世界のトップテンを狙いにいく段階」であると私は認識をしています。もちろんまだまだ様々な点で遠いですが、W杯で勝つ勝たないの問題ではなく、あらゆる観点から「安定した価値」を世界基準でつくり出していかなければなりません(少なくとも私はそのように考えています)。どう考えても、日本にはその「ポテンシャル」があります。

これからさらに「質」を上げていかなければならない状況に置かれる中で、選手の卵の「量」が減っていく、という難しい状況に立たされることになります。これまでよりもさらに「高い質」で何もかも実行しなければ、これまでのレベルを保つことすら出来なくなるでしょう。

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またサッカーに限らず、これからは日本で生まれた才能をもった人々が「日本にいなければならない理由」が少なくなっていきます。(サッカー選手になるという点に関して)日本にいることの利点をつくっていかなければ、才能は次から次へといなくなってしまうことでしょう。それに関して私はネガティブには捉えていませんが、もしもそのような方向で日本サッカーが時間を進めていくのであれば、それを考慮した戦略が必要になります。何も準備が整っていない状態で、国外に才能が流れていってしまうのは、避けなければなりません。

日本という国においても「海外経験をもつ」人々が「親世代」にまで突入しています。それによって過去よりも断然「海外に行くことは決して難しいことではない」ということを知っている親が多いこと、また言語取得も全く不可能なことではないことは、時代を経て日本人にも浸透しています。それは選手のみならず、指導者でも言えることです。

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これからは、若くして海外へ学びにいった日本人指導者が、日本に帰ってくる理由はますます減っていきます。指導者に関していえば、才能の流出は極めてネガティヴであると私は捉えていますが、これについては時代の流れに加えて、日本の指導者養成システムに構造的な問題があるため、詳しくは後述したいと思います(もしくは1年以上前の記事にはなりますがこちらをご覧ください)。


■日本の指導者がもつアドバンテージ

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また日本の指導者がもつ大きなアドバンテージは「子供が大人の言うことを聞く傾向にある」という点にあります。一般的に日本の子供たちは外国の子供たちに比べると「何も言わずに真面目」にやります。一概には言えませんが、その点で日本人は「指導者が鍛えられづらい」と捉えることが出来ます。少なくともここアルゼンチンでは、指導者が魅力的な内容をもってして、魅力的な伝え方をしなければ、子供はまったく聞く耳を持ちません。アルゼンチン人の指導者が優秀なのは、その点も大きく関わっているのではないかと考えています。


■未来を見据えた戦略

国際問題の把握や、世界基準で戦略を立てること、また世界のルールで(競技的・商業的に)プレーすることの重要性、そしてそれを行わないことの問題点など、挙げれば枚挙に遑がありません。

これからさらに質を上げていかなければらないにも関わらず、量が減っていきます。これまで私たち日本サッカーが行ってきたことが如何なものだったのか、正しく把握することは非常に難しいのです。「うまくいっている」と考えるのは軽率だと言えます。

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さらなる難しい段階を迎えるにあたり、日本サッカーは「2つの基盤(競技としての価値・商業としての価値)」を日本サッカーにもたらし続けるために、どのような選手や指導者、またはそれに伴う人材が必要になってくるのでしょうか?またそのためには、いったいどのような仕組みや、考え方が必要なのでしょうか?

その戦略は、持続可能で、未来を見据えたものでなければなりません。


続く


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河内一馬
1992年生まれ(27歳)/ 東京都出身 / アルゼンチン在住 / サッカーを"非"科学的視点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者 / 監督養成学校在籍中(南米サッカー協会 現Bライセンス保持) / NPO love.fútbol Japan 理事

▼前回の記事


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