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Jリーグが必ずハマる"罠"——。 スポンサーの獲得は「正義」か「悪」か

Apple StoreでMacbookを購入し、家に帰って箱を開ける。端末のデザイン、機能性、ロゴ、どれをとってもシンプルで、洗練されたデザインが美しい。それを象徴するように、箱の作りもシンプルで、複雑な部品や、分厚い説明書は入っていない——。

Vol.2▼



■もしもAppleが…

あなたはApple製品の『機能』や、スティーブ・ジョブズの『哲学』が素晴らしいと感じている。でも…もしAppleの包装箱が複雑な作りをしていて、中には分厚い説明書や、ごちゃごちゃした部品が内包されていて、Macbookを使えるようになるまでに、幾つもの段階を踏まなければならなかったら…あなたはどう思うだろうか?もしもロゴがダサかったら?もしもApple Storeに乱雑な雰囲気があったら?

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日本サッカー界では、長年このような状況が続いている。


■"超"短期的思考

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前回(Vol.2)では、サッカークラブがクールでなければならない「理由①」として「"超"短期的思考」をあげた。そして「日本人×サッカー」という組み合わせによって形成されるその思考が、サッカーという競技にどのような悪影響を与えているのかを説明した。今回は、無意識に形成された「超短期的思考」が、どのように『視覚』に影響を与えているのかを紐解いていく。

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理由②:ウェアはスポンサーに依存する

言わずもがな「サッカーにおけるブランディング」において『視覚』を形成する要素として「ウェア」がある。ピッチでプレーをする選手たちが着る「衣装」は、サッカーという競技に多大なる影響を与えているが、日本人はこれらの影響に気付いていないか、否定をするか、もしくは気づかないフリをする。

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前提として、スポーツの世界には「クールなウェア」と「ダサいウェア」が存在する。一体何がそれを分けるのだろうか?色か?デザインか?それとも着ている人間か?それらが影響を与えていることは間違いないが、もっとも大きな要因は次の2つである。

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1:ウェアの良し悪しは「スポンサーのロゴ」に依存する
2:ウェアの良し悪しは「見せ方」に依存する

※代表ユニフォームはスポンサーが入らないため、基本的には「デザイン」に依存する


■ユベントスの「衣装」

イタリア・セリエAに所属するユベントスが「サッカーにおけるブランディング」の先頭を走っているクラブの1つであることは、これまでも言及してきた。一つの例としてユベントスの「衣装」を見てみると、2つのことが見て取れる。


【1】スポンサーがユニフォームの邪魔をしていない

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1つ目は、胸スポンサー企業のロゴが「ユニフォームの邪魔をしていない」ということである。むしろ、ユベントスの場合「Jeep」が持つ『視覚』的なイメージ(ロゴデザイン・プロダクト含め)が、ユニフォームの「クール」をさらに際立てる。これは、ユベントスの『哲学』と、Jeepの『哲学』が一致していることを物語っている。


【2】スポンサーがデザインに含まれている

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さらに、彼らのユニフォームを見てみると、「Jeep」のロゴ自体が「デザインに含まれている」ことがわかる。つまり「1:ウェアの良し悪しはスポンサーのロゴに大きく依存する」を理解しているのだ。その証拠に、1枚目(Home 18/19)のユニフォームでは黒背景の白抜きで「Jeep」とデザインされているのに対して、2枚目(Home 17/18)は黒背景がない。黒の縦縞の太さに対して「Jeep」のサイズ感が変わっている印象を与える。以下その他同様、ユニフォームのデザインによって、ロゴの見せ方が工夫されている。


■スポンサーロゴの重要性

次の2枚の写真を比較してほしい。PSGは、男子と女子でスポンサーが異なるが、それぞれ同じデザインのユニフォームであるにも関わらず、『視覚』として全く違う印象を与えていることがわかる。

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■Jリーグの「衣装」

Jクラブの多くは、前述した「1:スポンサーへの依存」及び「2:見せ方への依存」に気付いていない、もしくは資金を得る為には仕方のないことだと諦めている。ここに「罠」があるわけだが、少なくともこの2つを無視した場合『視覚』として「クール」にブランディングをすることは不可能になる。

例えば「サンフレッチェ広島」の場合、スポンサー企業のロゴ表示を工夫するだけで、ユニフォームにおける『視覚』的なクールを追求することは十分可能である。これは「スポンサーのロゴがデザインに含まれている」ことを意識していないのか、それとも契約の問題なのかは把握できないが「色・サイズ」を工夫するだけで全く違う印象を与えるだろう。

この現象は下部リーグに行けば行くほど顕著になる。卵が先か、鶏が先か。ここに「Jリーグが必ずハマる罠」がある。そのロジカルを説明しよう。


■地域密着の「嘘」

日本のスポーツシーンにおいては「地域密着」という言葉がよく用いられる。

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「地域に密着したサッカークラブがあることで、地域民を元気にし、地方創生、地域活性化を目指し…」

といったような『哲学』である。クラブをつくる理由として挙げられることも多い。しかし、私はこの「地域密着」という言葉には「嘘」が存在していると考えている。

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その理由をもって、「Jクラブは"地域密着"という言葉を捨てなければならない」と主張する。


■ブランディングの不必要性

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2018シーズンのJ1リーグを見てみると、同じ都道府県内に2クラブ以上が存在しているのは神奈川・静岡・大阪のみで、他の都道府県は1または0という現状がある。J2/J3にしても、その状況は変わらない。世界を戦いの場としている欧米のクラブや、近隣地域内に強豪クラブがひしめき合っているような状況とは前提が異なる。これが意味するものは「ブランディングの不必要性」である。

つまり「サッカーにおけるブランディング」によって「クール」をつくる必要性が、そもそも存在しないのだ。なぜか。


■ブランディングとは…

ブランディングとは「客観的」に受けそうなものを探すことではなく「主観的」にブランドの魅力を提案することである。つまり、受信側が「まだ気付いていない」魅力に気付かせることだ。過去の数字は参考にならない。究極に「主観」でなくてはならず、「これがクールだ」とブランドが受信側に主張する必要がある。(中略)つまり、サッカーをより大きな存在にするために「日本人が親しいやすいものはなんだろうか?」と、受信側に歩み寄る行為自体が間違いなのだ。この姿勢を捨てない限りは、日本サッカーはクールにならない。クールにならないことが意味するものは、衰退である。

Vol.1の中で、私はこのように書いた。これは『視覚』のみならず、『哲学』そして『機能』全てにおいて言えることだと私は思っている。

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しかし「地域密着」という言葉に縛られることで、地域内のファンを確実に掴むことに重きが置かれることになる。地域内の人間を掴みに行くこととはつまり、他の地域(日本国内)のクラブと差別化をする必要がないことを意味する。

その結果近隣地域内の人々に歩み寄り、「客観的」に受け入れられやすい方法論(従来通りの方法)をとることになり、各クラブが同じような道を辿ることになる。


■ビジョンの小さい状態

上記したように、どのクラブもこれまでと同じような方法論を5年、10年ととり続ければ、クラブまたはリーグ自体のレベルが必然的に下がっていくことは明らかである。

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「地域密着」という言葉に引っ張られることで、挑戦的なブランディングを行うことが出来なくなり(必要がなくなり)、クラブとしての「ビジョンが小さい状態」は基本的に避けられなくなる。その結果どうなるか。


■ビジョンの小さな組織には

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ビジョンの小さな組織には、優秀な人材(これまでの考察通りにいけば"クール"な人材)が集まる確率が非常に低くなる。これは集団(組織)においても言えることであり、ビジョンが小さければ、力のある集団(組織)にプレゼンテーションをすることが不可能になる。人材や企業が集まらない場合、長期的に強いクラブ(ビッククラブ)に変貌を遂げることは、何かの奇跡が起きない限りは起こりえない。


■視覚の一致に伴う哲学の一致

前述したように、「ユベントス」と「Jeep」は『視覚の一致に伴う哲学の一致』が発生しているため、相対的にウェアがクールになる。

しかし「地域密着」という言葉に支配されたJクラブは、胸スポンサーを選ぶ範囲(選ばれる範囲)が必然的に狭くなる。私のこれまでの考察が正しければ、日本には(視覚・哲学・機能)クールな企業が少ない。さらに地方となるとその必要がない企業が多い。つまり「クールなロゴを入れることが出来ない」という現象が自然現象的に発生してしまうのだ。日本、もしくは世界をターゲットにしている企業が「地域」のみに目を向けたクラブに、資金を提供する可能性は非常に少ない。

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つまり、クールな企業に「WIN」を提示することが出来ないのだ。


■地域活性化とは

区別をしなければならないのは、私は「地域活性化」や「地方創生」という概念自体が間違っていると主張しているわけではない。

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「地域密着」という『哲学』に縛られることで、ビジョンを描く必要性や、「サッカーにおけるブランディング」を行う必要性がなくなり、目の前の数字を掴みにいく「超短期的思考」に陥り、クールになることが出来ない(=クラブが大きくなることがない)ということを主張している。世界のサッカーシーンに年々離されてしまうのだ。

つまり、そのようなクラブには長期的な成長が見込まれず、人材や企業が集まらない結果、「お金」やその他「魅力的な価値」を生むことが難しくなる、ということを意味する。

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「地域密着(地域に寄り添う)」を掲げることで「地域活性化」や「地方創生」につながるという概念は「嘘」である。


■地域活性化は目的ではなく結果である

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