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ずぼっとハマったぬた沼

ずぶりずぶり。もがけばもがくほど、深く沈んでいくのが沼というもの。

僕はいま、沼の中にいる。沼に片足を突っ込むどころか、いつの間にか首まで突っ込んでしまい、沼の水面からようやく顔だけ出して呼吸している。沼の名は「ぬた沼」。

野菜、山菜、魚介類を酢味噌で和えた、あの「ぬた(ぬた和え)」である。そもそも、ぬたの語源は、酢味噌のドロっとした感じが「沼田」に似ているということで、「ぬまた」がなまって「ぬた」になったそうだ。名は体を表す、ぬたは生まれもっての沼属性。

あのねっとりとした甘辛い酢味噌と、ネギ・ニラ・ワケギなどのシャキシャキした食感…お供には冷酒がいいだろう。甘くて華やかな日本酒はダメ、淡麗辛口のすっきりしたものが吉。酢味噌の欠点、口中に残る甘ったるい余韻の頬をピシャリと打つように、冷酒がそれを綺麗に洗い流す。すると、ぬたにまた手が伸びる。永遠にこれを繰り返す。これが、ぬた沼である。

さらに、ぬたに旬の魚介が入ると尚良し。メニューに「ホタルイカのぬた和え」があった日には、店主に抱きつきたい衝動を理性でもって抑えるのに必死。自宅で作るときは、ささみをサッと湯がいて作るのもお手軽でいい。

ぬたの酢味噌は懐が広い。野菜類なら「おひたしで食べられるもの」、魚介類なら「刺身で食べられるもの」であれば、なんでも合うという万能ぶり。

今でこそ、ぬた沼にどっぷりの僕だが、昔は半年に1回、実家に帰省したときに会う旧友のような良好な関係性を築けていた。

皆に覚えておいてほしいのが「沼と沼は繋がっている」という事実。僕はかつて、日本酒という沼にハマっていた。日本酒の沼にハマっていたとき、ほんの些細な気持ちで近くにあった沼に足を踏み入れた。それが、ぬた沼だった。

ワインの好きな人が、次にチーズへとハマっていくように、相性のいい料理の沼と沼は繋がっているのだ。

以前はネットで飲食店を探すとき、「日本酒 ぬた」と検索していた僕が、最近は「ぬた 日本酒」と検索していることに気づく。両者は似ているようで、行動の動機が全く異なる。日本酒がうまい店でぬたを食べたいのではなく、ぬたがうまい店で日本酒を飲みたいのである。

ぬたがうまい店。ぬたの聖地「荻窪」の話は後日に譲るとして、ぜひ食べていただきたい「ぬた」を紹介したい。

1905年に創業した日本最古の居酒屋、神田「みますや」の季節のぬた。

マグロとニラを酢味噌で和え、からしをサッと塗ったシンプルな一品。マグロは赤身と中トロの間ぐらいの脂感。口の温度でとろけたマグロと、とろりとした甘めの酢味噌がピタと合う。味噌の旨味の脇を通って、からしの香りがふっと鼻を抜けていく。たまらず、冷酒・八海山で追いかける……。

手に持ったお猪口をそっと卓に置く。店内を見渡す。歴史を感じさせる木造の店内は活気で満ちている。愛想よく給仕する店員、ワイワイと幸せそうに杯を重ねるお客。もう一度、卓に目を移す。目の前には、ぬたと日本酒。

なぜか、ふと、美しいと思う。すべてが調和しているのだ。


ひょっとすると、このぬたという沼は、底なしかもしれない。どうせ抜けられないのなら、いっそこのぬかるみに身を委ねてしまおう、そう思いはじめている自分がいる。まだしばらくは、このぬたという沼を僕は抜け出せそうにない。

みますや
https://retty.me/area/PRE13/ARE11/SUB1103/100000009001/

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