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天かすの善悪

天かす。天ぷらの残りかす。これが大好物である。

天かすとの出会いは小学生の頃。両親が外出しており、家には祖父と僕の2人きり。もう亡くなってしまったのだが、この祖父が俳句と麻雀の好きな呑兵衛で、なかなか粋な人だった。

昼時になり、祖父が出前でも取るかと蕎麦屋に電話をかける。しばらくすると、2枚の天ざるが食卓に並んだ。二人は特に何かしゃべるわけでもなく、蕎麦をズルズル、天ぷらをワシワシと食べる。あっという間に食べ終わり、席を立とうとする僕に、祖父が「腹に空きはあるか?」と尋ねてきた。僕が「まぁ、それなりに…」そう言うと、祖父は「よし」と言って台所に向かい、茶碗にごはんをよそいはじめた。

祖父はごはんを食卓まで持ってくると、天ぷらを食べる過程で皿にこぼれ落ちた天かすをごはんの上にバラバラバラッと豪快に散らし、天つゆをぐるっとひと回し、わさびをちょこんと乗っける。

僕も祖父の見よう見まねで即席の天かす丼を作り、パクッとひと口。「おぉ…」声にならない呻き声が漏れる。甘辛いつゆのかかった天かすとごはんが馴染んだ味のおいしいこと、おいしいこと。天ざるを平らげた後にも関わらず、脇目もふらずにかきこんだ。

祖父は、天かす丼を嬉しそうに食べる僕に「下品だろうが、うまいものはうまい。上品を装った気弱なインテリ気質になると、人生損するぞ」と教えてくれた。当時は、インテリの意味さえ知っていたか疑わしいが、その言葉はなぜかよく覚えている。これが僕と天かすとの出会い。


先日、天ぷら屋で飲んでいると、近くに座っていた女性が天ぷらの衣を剥がし、皿の脇によけていた。「ああ〜なんと酷いことを…!」。カロリーが気になるのか、それとも解体癖でもあるのか。理由はなんであれ、罪は罪。天ぷら不敬罪で、禁錮35年の判決を下したい。

料理人が天ぷらの衣を作るのにどれだけ心血を注いでいるのか、この女性は知らないのだろう。天ぷらは衣が命。天ぷらを食べるとき、最初に舌に触れるのは衣であって、味覚の第一印象を握っている。食感はサクッと、それでいて口の中が油っぽくならないように軽さを保ち、中の具の水分やおいしさを逃さない衣をつくるのは高等技術。つまり、天かすの一個一個が料理人の技術の結晶なのだ。

それを身をもって体感したのが、高円寺「天すけ」の玉子天丼。ほかほかのごはんの上に、ごま油で揚げた半熟玉子の天ぷらを乗せた天丼である。ごはんの上には、天かすがいい塩梅に散らばっている。半熟卵の天ぷらに箸を入れると、黄身がツツゥーと流れ出す。見ただけでハァハァ。

ごはんの温かさでしっとりした天かすに、とろりとした黄身をベチャベチャと絡め、口の中へ運ぶ。甘辛い天つゆとごま油の香りが鼻孔をくすぐり、まったりねっとりした黄身の甘さが口中に広がる。潤滑油という言葉があるが、この玉子天丼をうまくつないでいるのは、天かすだ。

思わず拝みたくなる美味しさ、口のなかは極楽。やはり天かすは、天が与えた恵みであり、愛すべきかすなのである。


天すけ
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