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タイムパラドックス

子どもと約束をしていたドラえもんの映画を観に、映画館に行った。

寝る気満々だった。「仕事で疲れていたから」と書けば同情を誘えるかもしれないが、そもそも映画を観にいく約束をした時から「映画なら寝られるぞ…」と思っていた。予告が流れている段階で既に目がしょぼしょぼしていて、NO MORE 映画泥棒の映像を観た覚えがその日はない。

が、冒頭で音楽の歴史(今回のドラえもんの映画のテーマは音楽だった)がアニメーションだけでざっと語られるところで苦しくなるわ苦しくなるわ。胸が。その後も、歌ったり踊ったり、いきいき動き回るキャラクターたちを眺めているだけで目が熱くなった。そして自分が幼いときと同じように、ここ一番で頑張るのび太の姿にも。ただしそののび太の姿に重ねるのは最早自分ではなく、隣に座っている子どもになってしまっていることにだけは、何か言い知れぬ思いになったのだが。
大人も楽しめるような映画なのかと聞かれれば、それはちょっとわからなかったりする。逆にド正面から受け止めすぎてしまって、「そんなふうに処理してしまっていいの?」と思うような展開がないと言えば嘘になる。が、一枚一枚丁寧に描かれたキャラクターや背景が連続で動くだけで、こうも明らかな命を感じることに、今さらのように感じ入ってしまった。ねえ、アニメってマジですごくないですか?マジでそこで生きている人と世界がありませんか?と、誰でも知っているだろうことを言い募りたくなる自分がいる。
おそらくこんなのは、歳を取ったからに過ぎないのだろう。俺も随分角が取れ、丸くなった。ベタな話である。なんて締めくくればそれで自虐風のオチになるところだろうが、自分がこういうものを前のめりで観ることが出来たことを、しみじみと嬉しく感じたのだった。

アニメ的表現を、流行歌を、鼻からNotforMeと決めつけていたあの日の自分よ。そしてあらゆるものを forMeか NotforMeかどうかで判断している、未だ此処にいる自分よ。あなたはVaundyの主題歌を鼻歌で歌い、そこに歌われている僕と君に様々なものを重ねてみたりしていますよ。今や、「あのね、」という語りかけで始まる歌い出しだけで少し胸が苦しくなる。未来と過去の両方に影が差す感じが、この歌にはあるなと思う。

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