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「どんなデザイナーになりたいですか?」って学生に聞くのもうやめませんか

この記事は「ReDesigner for Student 後輩に贈るデザイナー就活応援 Advent Calendar 2022」の24日目です🎁

デザイナー学生のキャリア支援の仕事をしている。

仕事柄たくさんの学生から就活にまつわる相談を受ける。すると、やはり就活というものにはたくさんの問題があるなと感じることがある。

とりわけ最近「良くないかもな」と感じることがある。現状の就活は、学生を「わたしは〜である」と、個人を一貫したひとつの存在に固定しようとする力学が強すぎるように思うのだ。
更に悪いことに、就活は現在の個人だけではなく、未来の個人までも縛り付けようとする。
そしてそれは多くの場合、「どんなデザイナーになりたいか?」という企業からの問いに端を発していると思う。

学生と面談をしていると、こちらが特に何も聞いていなくても「こういうところが私の強みで」とか「私はこういうデザイナーになりたくて」と話し出してくれることがよくある。もちろんこちらはあなたが何をしている人間なのかを知るところから話を始めなければならないわけなので、学生の気遣いに感謝せねばならないのかもしれない。が、やはりどこかに違和感がある。

就職のノウハウ本をめくってみると、「軸」ということばがよく出てくる。就活の軸、企業選びの軸、自分軸、などなど。まずは軸を定め、それに基づいて就職活動をすべし、というようなことが書かれているようだ。
各大学のキャリア科目のシラバスを見ていても「ESを書く前に自分のことを見つめ直してみよう」といったワークが組み込まれていることが多い。自己分析というやつだ。学校によっては、「あなたに向いている仕事」が割り出される性格診断テストを行なっているところもある。「診断テストでこの仕事が向いていると言われたからこの仕事に就きたい」という学生に出会ったことがないのは、果たして僕がデザイナーという専門職に限ったキャリア支援をしているからだろうか。

このように、就活指導の多くが学生に最初に強いることは、とにかくまずは自分をよく知ることだ。自分が何者なのかを自分自身で分析し、更に言語化すること。自分が誰かにとって魅力がある人間だと思えるように。社会にとって何らかの価値がある人間であると思われるように。
それらすべてが悪いことではないかもしれない。しかし、就活は事実上、学生にとって将来を懸けた競争として社会に提示されている。その競争の中で「自己分析」を実行した若者が作り上げた自己像が、ありのままの自己像と同定できず苦しさを感じるというのは、自然なことではないだろうか。
学生はそうして苦しみながらも、その自らの「軸」を信じて未来を絞り込もうとする。
あるいは可能性を切り捨てていく。

まず学生に対して伝えたいのは、あなたは一人ではない、ということだ。一人ではないというのは、仲間や味方がいるという意味ではなくて、あなたという人間は多面的なものである、ということである。
そして多面的であると同時に、自ら未来を「こうだ」固定してしまえるほどは凝り固まっていないはずだ。デザイナー就職に限って言えば、3年生の冬に差し掛かった頃から総合職から切り替えてデザイナーを志した学生が実際にデザイナーになった事例を知っている。一般職についた後も制作を続け、映画監督になった人のことも知っている。公務員からグラフィックデザイナーになった人のことも。反対に、デザイナーを辞めて地元でカフェを開いた人のことも。

一方で、学生がこのような就職活動のありようを嘆くだけならば、それもまた社会に対する歩み寄りとは言えないよなと思う。この仕事をしてきて、自らナイフを持って様々な角度から学生を切り出そうとしてくれる人事担当者や現場デザイナー、経営者、教育者たちがたくさんいることも知っている。
どこかに意外なところからあなたを切り出したり、思ってもいないような様々な角度からあなたを見ようとしてくれるような人が、就職活動の現場にも必ずいる、と断言する。



キャリア指導に関わる方々、採用に関わる方々に問いたいのは、もし明確な目的もなく、なんとなく「あなたはどんなデザイナーになりたいのか?」と学生に聞いてしまっているのであれば、それはやめませんか、ということです。その質問が、本当に多くの学生を戸惑わせていると感じています。「デザインが好きだったはずなのに、どんなデザイナーになりたいかはわからない。そういう人間にはデザイナーは向いていないのだろうと思う」と言って涙を流す何人もの学生と、毎年接しています。
それは本当に本人の素養を見極めるために必要な質問でしょうか。気を付けていても平等なバランスが崩れてしまいがちな面談・面接の現場で、学生の素直な「将来のデザイナー像」を引き出すことができる質問なのかを、一度考えてみる余地があるのではないかと考えています。
私も含めて企業や指導側は、学生のこれまでの実績を、ポートフォリオやESで見ることができるわけです。マッチ度や素養を測る事実上の「試験」である選考の現場で学生に「will」を捻り出させるよりも、まずポートフォリオを読んだ際に「あなたが現時点でどんなデザイナーに見えるのか」を伝える方が先ではないかなと思っています。
その上で、本人の「will」が現場と乖離していないかどうかを測る。あるいは「(こういう実績があるなら)うちの会社だったらこういうことが出来るかもしれない」と提示する。その中で組織とのマッチ度を測る。そういうやりかたの方が、合理的かつ倫理的であると考えています。

再度学生に向けて。
改めて、自分は一人ではないと開き直ってほしいなと思います。

ひとつだけ具体的なアドバイスを交えるとすれば、ポートフォリオやESをつくるとき、最初から完パケ状態のものをつくろうとしなくてよいということです。統一感がないのではないか、自分らしさがないのではないか、と悩むデザイナー志望者がたくさんいるけれど、そういう「軸」のようなものはある程度作品を並べてみて始めて点が繋がれて線になった時に顕れてくるものだと思います。実際に手を動かす作業と、ポートフォリオのディレクション工程は分けるべきです。まずは全ての作品をテーブルに並べる。それからそれらの作品をどう見せるか考えていく。
そして後者はひとりでやらなくてもいいはずです。友達や僕たちみたいなキャリアデザイナーと共創するのが普通のデザインのセオリーだと思います。
そうやって出来上がった作品を見ながら、「こんなことをやってきたから、御社と同じ方向を向いて仕事ができると思う」「制作の中でこんなことを大事にしてきたから、御社ではこんな風に役に立つと思う」と言った形で、志望動機や「will」が語れるといいのかな、と思っています。

少なくとも僕はたくさんの要素が詰め込まれたポートフォリオでもちゃんと目を通します。どれだけ仕事が忙しくなっても、多分これは崩さないと思う。いつでも相談をお待ちしています。


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