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Door22: 初めてなのに懐かしい街~ウイーン(オーストリア)

中欧から北欧にかけて旅したのが秋だったので、帰国して、札幌で秋を迎えるたびに、そのあたりのことを思い出して旅に出たくなる。
気候風土が札幌と似ているからかもしれない。
日ごとに冷たさを増す空気の中で、澄んだ日差しのもと、空や色鮮やかな木々がガラス細工のように見える感じや、曇りの日のグレイの空気に映える銀杏の並木道。

中欧の街、ウイーンは、ハンガリーからチェコに行く際の通過ポイントとしか考えていなくて、滞在期間も3日間しかとっておらず、着いてみるまで、それほど期待を持っていなかった。

けれど、ウィーンの街を歩いていると、なんだかとても落ち着いた。
そして、不思議と懐かしい感じがした。
自分の小学生時代を思い出すのだ。
どうしてなんだろうと考えたところ、いくつか理由が思いあたった。

ひとつは、自分が小学生の頃、ピアノを習っていて、毎日ピアノの練習をしたり、何人もの音楽家の伝記を読んだり、時々クラシックのコンサートに連れられて行ったりしていたのだけれど、当時読んだり聞いたりしながら頭に浮かべていたヨーロッパのイメージや歴史などが、ウイーンの風景と同調したということ。

もうひとつは、小学生の頃、映画「サウンドオブミュージック」が好きで、何度も繰り返し見た風景が刷り込まれていること。
そして、シェーブルン宮殿の庭を歩いていた時には、目の前に広がっている景色が、小学生の頃読んだ、ベルばらや、ヨーロッパを舞台にした、少女マンガに描かれた風景そのものだということに気付いた。

もっと些細なことで言えば、子どものころ、家にあった母親のお菓子のレシピ本に載っていた、ザッハトルテ(ウイーンの名物のケーキ)が気になって、繰り返し写真や説明文を見ては、それが売られている見知らぬ街を想像していたというのも思い当った。

おかしな言い方かもしれないけれど、昭和時代のわたしが憧れたヨーロッパ。
母親のお菓子の本に載っていた、不思議な名前のケーキや、マンガや音楽家たちの伝記の中に出てくるお城や森。
当時、山に囲まれた田舎町の小さな家で暮らしていた私にとって、それらはあまりに遠く、きらきらしたものたちだったけれど、今目の前にあって、食べたり触ったりできることは、感動というより、やっぱり懐かしいと言う方がしっくりときた。
子どもの頃のわたしは、何度もウイーンに空想旅行していたのだろう。

ウイーンでは、それ以外にも、心に残っているできごとがいくつかある。
仲良くなった、韓国や中国の女の子たちとオペラ鑑賞に行ったこともその一つだ。
日本でオペラと言えば、敷居の高いイメージがあるけれど、オペラハウスにはぴんきりの席が用意されていて、立ち見席であれば、6ユーロ(当時800円前後)で見ることができた。
ただし、開場数時間前に行き、手すりにハンカチを結んで、場所とりをしておく必要があるし、開場したら、終演まで3時間くらい立ちっぱなしとなる。

それでも、豪奢な会場にドレスアップした人達が続々と集まってくる様子は、日本では触れたことのない世界だったので、観察しているだけで楽しめた。
開幕し、オーケストラの演奏が始まった瞬間はちょっと鳥肌がたった。
あまりの音響の良さと、完成度の高さに、目の前で生演奏されていると思えないほどだったので。

席のモニターに英語で説明が出てくるのだけど、スピードに追い付けず、ストーリーはほとんど誤解していたように思うけれど、楽器の音と歌声に聞き惚れ、衣装や舞台に見とれ続けて、思っていたよりも面白かった。
そして、日本に戻ったら、いつか歌舞伎や能を見にいこうかなあと初めて思った。
(まだ機会がありませんが)

他にも、タイ人の家族と一緒に美術館へ行ったり、そこで、好きな画家エゴンシーレの原画をたくさん見ることができて感動したり、教会で、厳かなミサを見て胸を打たれたり、気に入ったカフェに毎日通ったり、束の間の滞在だったけれど、思い出をたくさん作ることができた。

初めての街で、ずっと忘れていた自分とつながったような不思議な感覚。
昔の自分に、時を超えて、「ウィーンに来れたよ、すてきな街だよ」と、エアメイルを送りたくなるようなそんな気持ちになった。

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