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#作曲家修行
作曲家修業の思い出(10)イントロは短くせよと亀田誠治氏に直接指摘される
だんだん「曲づくりの基本」のようなnoteになってきました。別に亀田音楽専門学校のようにするつもりはなかったのですが...。
作曲家修業の思い出(3)でも書きましたが、当時曲をまとめて提出するときは、イントロはのぞいてサビ前から作って、あとからイントロをまとめていました。
実はこの効用は大きくて、これ以前にイントロから順々に作っていくと、自分の場合どうしてもイントロが長くなる悪い癖がありました
作曲家修業の思い出(9)メロディ先、コード後のほうがカッコ良く仕上がる&リミックスに目覚めた
曲をパーツパーツで保存しつつも、名曲(迷曲?)が生まれず苦悩の日々を過ごす日々。サビにメロディアスなストーリーを求めるJ-POPでは、やはりメロディを先につくり、そこからコードをのせ、アレンジを詰めていったほうがうまくいくことが圧倒的に多かったです(この方法を「メロ先」と言ったりします)。
ぼくは、たまたまクラブミュージック寄りのカテゴリーで作曲家修業をしましたが、クラブミュージックでもJ-PO
作曲家修業の思い出(8)曲はパーツでストックする?
さて、リズムプロダクションにダメだしをされ、デモテープ作成講座でも「リズムで9割が決まる」と言われ、限りなく本チャンに近い形まで仕上げないとダメなんだなあということを痛感したわたくし。
とりあえず打ち込むためのネタが足りないとみて、サンプラーと音ネタを入手することにします。デザインの世界でいえば、Photoshopを買い、アマナやPixtaのような素材サイトに登録するようなイメージでしょうか。し
作曲家修業の思い出(5)リズムプロダクションがダメ
さて、最低限の事前スパーリングを経て、実際の曲作りのスタートです。
「とりあえず月に5曲作って、毎月末にCD-Rで以下の住所に送るように...」
⇒10年前の話なのでCD-Rというところはお許しください
ということで、週1ペースで曲を作り続けることになりました。この人に提供したい、というイメージ投影も必要だったので、まずは好きだったbirdを狙ってみることにしました。当時このアルバムがとにかく
作曲家修業の思い出(4)フリーソウルとカフェアプレミディのシリーズは全部買え
前回は、デモの打ち込み方法にダメ出しをされたわけですが、次に曲作りの前に指南されたのは、
レファレンス音源を沢山持っておけ
ということでした。
ぼくの場合、当時は「オリジナルラブフォロワー」だと2ちゃんねるに書かれるくらい、田島貴男さんの曲にどっぷりはまっていましたが、それ以外にもいろんなジャンルをかじっており、広く浅くは聴いているつもりでした。余談ですが、大学時代にプログレを聴いていたのは
作曲家修業の思い出(3)一番聴かせたいところを一番最初に持ってくる
ようやく曲づくりのスタートです...とはまだいきませんでした。
ぼくが送付していたバンドの曲の中で「この曲、70年代っぽさが出てていいね」と言われていた曲がありました。
「この曲のデモ版を、まずは1週間で作ってみてほしい」という課題からスタートしました。
イントロから作るな。一番聴かせたいところを一番最初に聴かせること制作にあたって、事前に1点だけ注意を受けました。
・ディレクターの人たち
作曲家修業の思い出(2)自分が提供したいと思うアーティストを100組挙げる
面会は赤羽橋の某所。その方はクラブ系アーティストのエージェントをしているといいます。
※エージェントといえば、トム・クルーズのあの映画を思い出していただければ。
ザ・エージェント 20周年アニバーサリー・エディション
ざっくりいうと、単なるマネージャーなのではなく、クライアントとのクリエイティブワークにも深くかかわるプロデューサー的な役割も多分に含んだ業務をする、そのために営業もする、そ
作曲家修業の思い出(1)プロローグ
30歳のとき、遅咲きの作曲家修業をしました。
当時指摘されたことは、これからの作曲家志望者にも役立つだろうし、アイデア出しに困っているような方にも役に立つのではないだろうかと思い、作曲家ゼミなどに入る前の知識ネタにでもなればということで、ログとして残しておくことにしました。
実は当時、リアルタイムでエキサイトブログ〜mixi日記に書いていたのですが、全て消してしまったので、記憶のある限り、もう一度