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三十一文字の父

父が死んだ時
流行病に罹っていたわたしは
葬儀に参列できなかった

動画で実況中継してもらい
火葬場のボタンを押すところまで見守ったけれど
いまだ悼むきもちがわかないのは
わたしが情の薄い娘だからなのか
死んだ父にふれていないせいなのか

わからない

そんなわたしのまま、一周忌を迎えた

法要にはいろいろな約束事があり
高齢で常識に囚われない気質の母にとっては
苦手なイベントであった
道具の準備や、参列者に失礼がないか、お返しは何にするかなど
いくら準備しても相談に乗っても、不安なようだった

なので無事法要を終え
親族の笑顔と背中を見送ると、心底ほっとした顔をみせた

よかったよかった
おつかされまでした、ほんとうに

「はい、これね」

母より一冊の本を手渡される
ああ、出来上がったのね

15年前の秋、山口で歌会を立ち上げた父らの合同歌集を作っていると聞いた時
父はまだ生きていた

カタチになる

『ペンキ跡青く残れる両の手をぶらさげてくる夜学の子らは』

父は退職するまでの十数年を、工業高校の夜間部の教師として生きた

この歌を、よく覚えている
すきだったのだ
父は働きながら学ぶ彼らを、尊敬し愛していた

『お父さん六十年が経ちました 遺品の笛はまだ吹けません

父の実父、すなわち祖父は、フィリピンのレイテ島で戦死した
カタチあるものは何ひとつ戻ってこなかった
父にとって「父親の不在」は、せつなさの集約であったように思う

『向き向きに靴転がりて孫たちの元気そのまま性格そのまま』

若い頃から幾度と自らの死を願った父だった
しかし死なずに、母と出会い3人の子と5人の孫の顔をみた


よろこびとは
かなしみとは

それは父にしかわからず
わたしは父を思い出す時
ぽっかりとあいた穴を覗き込むような感覚に囚われる

何も見えないけれど、穴がある

わたしにとって父とは何だったのか
父にとって、わたしは何だったのか
死んでもなお、わからない
心残りも、さみしさもない

生きているときは
ありがとうも言えた
ハグもできた

それなのにいま、父を愛していたと書けないわたしは
まちがいなく、父の子であろうと思う


三十一文字(みそひともじ)に、父がいる

それを読む、わたしがいる


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