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【ひよわな校長の処方箋73】ひよわな教師の処方箋

 指導力のない教師、仕事の遅い教師、整理できない教師、優柔不断な教師、自己中な教師、いろんなひよわ教師がいる。
 教師の関係がうまくいっていないと、「あいつは使えない教師だ」とか「ダメな教師だ」とか言って、接する態度にもその気持ちが出てきてしまったりする。ひどい時はそれが教師間いじめのようになってしまうこともある。
 子どもはそれを見ている。子どもの前だけ取り繕おうとしても、感じる子どもはすぐに感じる。教師は最大の環境である。学校以外の社会をあまり知らない子どもにとって、教師同士の関係は大人の世界の見本のようなものだ。
 たしかに誰が見てもだらしがないような、そもそも社会人としてどうなのと言われそうな教師もいる。嘘つき、わがまま、不衛生、多動、怠慢、挙動不審、・・・。どうしてこの人が教師になれたのだろうなどという声も聞くことがある。しかし今の日本ではなれるのである。採用の競争率が低いということもあるかもしれないが、今は経済と国防が優先なので、お金と優秀な人材はみんなそっちに行ってしまう。
 というわけで、現代の職員室は社会の縮図である。いろんな人がいる。でも、これでいい。子どもにとって、これが大人社会の見本になるならば、このような多様なメンバーがどうやって協働していくかを見せればいいのだ。
 基本は、人権尊重だ。まず、人権侵害になる言動をしないこと。
 人権というのは、誰もが安心してそこにいれる権利ということだ。
 誰もがひよわな一面を持っている。それは、生まれつきのものであったり、生育の中で身につけてきたものであったり、自分では変えられない事情であることもある。人から見れば変えられそうなものであっても、その人にとってはそうではないのだ。そこをつかまえてその人の人間性を否定するような言動は、人権侵害である。その人にとって安心できる場ではなくなってしまう。
 放っておいたらみんなが迷惑するじゃないか、と言うかもしれない。放っておく訳じゃない。目が見えない人には腕を貸すし、見えても見ない人には教えてあげる。そもそもお互いに迷惑をかけ合うのが社会だし、それを迷惑と呼ばないのが「自然」なのだ。
 そうやって、教師たちがお互いの事情を受けとりあって協働している姿を子どもたちに見せる。
 みんなが安心していられるところ。世界がそうなるように、私たちは教育という手段を選んでここにいる。教育は、国防や経済より基礎的なものである。

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