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【ひよわな校長の処方箋65】ごっこ遊びの真剣さ

 教育委員会の指導主事だったときの経験で気づいたことだが、こども園から学ぶことは多い。教育に携わる者は皆、幼児教育の現場を知る必要があるとさえ思う。そこでは日々、真剣なごっこ遊びが展開されている。
 例えば、園舎に入ると、廊下にはベッドも備えた小さな「病院」がある。大きな白いビニール袋を使った手作り白衣を着た小さな「院長先生」が仲間の小さな「医師」たちに指示を出している。
「大変だ、すぐにギブス持ってきて!」これはどうやら重症のようだ。もう一人の「医師」が電話をかける。
「もしもし、ドクターヘリをお願いします!」真剣な子どもたちの表情が素敵だ。
 この中古のベッドや手作り白衣、それに壊れた電話の子機などは、園の教師たちが用意したものである。このごっこ遊び、最初は誰かがテレビで見てきたドラマの真似から始まったという。子どもたちは遊びながら学んでゆく。そのための環境づくりが教師の仕事だ。
 カルテも用意されている。大きな記入欄があって「なまえ」「いたいところ」「くすり」の3つしかない。「いたいところ」の欄には子どもの字で「て」と書いてある。「くすり」の欄には「あまい」と書いてある。どうやら甘い薬を処方したようだ。
 その薬も手作りで、包装用のプチプチ緩衝材を紙に貼って一つ一つの膨らみに色を塗って薬らしくしてある。薬の袋には「あさ1、ひる2、よる3」と子どもが数字を書き込んだ。
 園では子どもたちにひらがなも数字も指導していない。しかし、ごっこ遊びの中で必要が生まれ、先生に字を聞きながら書いている。
 子どもたちはこれが遊びだとわかっているが極めて真剣だ。そのリアルな体験の中で必要が生まれ、字や電話のかけ方、コミュニケーションなどを学んでいる。子どもたちの世界に遊びと学びの境界はない。
 そもそも学びとはそういうものなのだ。教師が支援した環境によって、ごっこ遊びがリアルになればなるほど真剣さが増し、学びの必然性が生まれてくる。これは授業の原点ではないだろうか。
 小学校の教師は子ども園の教育を見るべきだし、中学校の教師は小学校の教育を見るべきだ。高校でも大学でも同じことが言える。まず少なくとも子どもたちがどんな学びを経験してきたかを知るべきだ。そして教師たちがどんな支援をしてきたかを学ぶ。成長の日々はつながっている。学びは継続的な営みである。
 自分は今も、あのごっこ遊びに負けない真剣さで働いているだろうか。

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