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インスタ映えすればいいのか?寿司は手を加えすぎると「寿司」ではなくなる 2019/01/28 月曜日

ある番組で寿司屋の特集があった。

「寿司劇場」と呼ばれていて、大将のパフォーマンスと高級食材を使った寿司が話題だ。

白子、イクラ、フォアグラ、ぜいたくな食材を寿司として惜しげなく使う。

だが「これは寿司と呼べるのか」という疑問を抱いた。


ぼくは寿司屋で4年ほどだが修行をしていた経歴があり「寿司」に対して、それなりのこだわりがある。

こんなぼくから、テレビで紹介されていた寿司に対して苦言を呈したいと思う。


■高級食材+高級食材=おいしい寿司?

思わず「それはないだろう」と口から出た。

赤酢のシャリの上に白子を置き、トリュフをちらして、さらにイクラをかけている。
そして、それをグチャグチャにかき混ぜて食べていた。

ひとつひとつの食材をみれば、どれも高級食材でおいしいだろう。
それに見た目も豪華でインスタ映えもする。テレビもこういう飲食店が好きで、よく特集している。

でも、食材を組み合わせすぎると、うま味とうま味がケンカするのではないか。それがネタとシャリのみで構成されているシンプルな料理の代表と言ってもいい「寿司」であればなおさらである。

高級食材はその食材自体で、味が完成されていると言うか主役を張れてしまう。

そういった食材はアクセントでいいのだ。しかも少量でいい。


白子、トリュフ、イクラを組み合わせた寿司は、果たして「寿司」と呼べるのか、はなはだ疑問であった。


■飾らなくていい、普通の寿司でいい

ぼくはシンプルな寿司が好きだ。

余計なものを付け加えないで、「ネタ」と「シャリ」で勝負をする。アクセントを加えるときも必要最小限がいい。

寿司を口の中へ入れて、ネタとシャリを噛み合わせる。
どちらが主張しすぎてもいけない。ネタとシャリがそれぞれの役割を果たす。ワサビがうまくまとめて「寿司」を完成させている。

純粋にネタとシャリの「寿司」を味わうこと。シンプルな「寿司」の完成を追求すること。ただ、これだけでいいのだ。


■黙って寿司を握れ

さらに言うと、ペチャクチャしゃべる寿司屋の大将も嫌いだ。

単純にツバが飛んで汚いし、こっちは寿司を味わいたいのに耳障りである。

「〜産のマグロです。さらに氷でネタを冷やす木製の冷蔵庫で5日間熟成させていて、シャリは赤酢を使っています、、、」とかペラペラしゃべらなくていい。

大将のこだわりはわかるけど、聞きたいことがあれば、こっちから質問する。

何もわからない状態で寿司を味わいたいのだ。


「赤身です、どうぞ」

余計なことは言わなくていい。この一言だけでいい。


寿司を口に入れる。そして考える。

「うん、赤身の味が濃いな。うんうん。これは少し寝かせているな。うん。ネタの温度にも気を使っている。うんうんうん。シャリとのバランスもいい。しかも赤酢を使っている。うんうん。さっきのシャリは違っていたから使い分けているのか。うん、なるほど。これはうまい。」

こんな風に、うんうん考えながら寿司を味わいたいのだ。


■寿司が目指すべき姿とは

いろいろな食材を組み合わせた寿司も味のバランスが取れれば、おいしいだろう。見た目も鮮やかでインパクトがある。

奇抜なアイデアや珍しさが、今の時代に必要なのかもしれない。


しかし、寿司が目指す場所はそこではないと考える。

地味でもいいから、シンプルに「ネタ」と「シャリ」で勝負してもらいたい。


そして、静かに握って欲しい。

「どうだ、この寿司うまいだろ」

こんな気概を感じ取れる寿司を味わいたものだ。

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