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雑文#1 でかいこと

出張仕事で、長岡に向かった。偶然だが、実は仕事で長岡を訪れるのは、今年で2回目だ。長岡のことについて、僕はおそらく100あるうちの1も知らないのだろうけど、なにかこの街には以前から惹かれるものがあり、勝手に、実に押し付けがましく、縁のようなものを感じていた。

いたずらに、もし自分がこの街に住んだら、どういう生活を送るんだろう。どんな仕事をするんだろう、と想像してみる。そんな思いに駆られる街なのだ。

長岡に初めて訪れたのは、コロナ禍になる前年の長岡花火大会だ。どんなきっかけで花火大会に興味を持ったのか思い出せないのだけど、本当に突き動かされるような衝動が当時はあったのだと思う。ちなみに、特に花火大会が好きとか、そういうわけでもない。

下調べもロクにせず、当時は無料の観覧席というのがあったので、本当に山下清の貼り絵のように、すし詰めになった観客の中で、それを目の当たりにした。もう、それはそれは、とても素敵なものだった。フェニックスの時に、視界がすべて花火で埋め尽くされるようか激しい場面があり、まんまと僕は心動かされてしまった。

ただただ大きいものに圧倒される、そんな己の単純さに苦笑を覚えつつも、この時ばかりは単純な自分を肯定してやりたくもなった。

長尾花火には戦争犠牲者への鎮魂の念が込められているという。そういえば、僕が子どもの頃、日本の夏にはそういう色彩があった。夏の鮮やかさの中に、線香の匂いが香るような、戦争の面影を感じた。そんなことにも思いを巡らせる。

取材の翌日が長岡花火。またいつか訪れたいと考えていたので、これは嬉しい機会だった。そして、今年の花火もやはりよかった。とても大きくて、とてもよかった。

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