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アンチヒーローとしての夏子:『夏子の酒』を読んで<ネタバレなし>

最近読んだ漫画で、出会った人、誰彼かまわずおすすめしたい漫画がある。それが尾瀬あきら著『夏子の酒』だ。ああ、あの作品かとピンとくる方も多いかもしれない。1988年から1991年にかけて「モーニング」で連載され、1994年にはテレビドラマ化も果たしている。私も作品名だけは知っていたが、漫画もドラマも見たことがなかった。そもそも酒が飲めないので、興味を持つ接点もなかった。

きっかけは、偶然。漫画アプリで全話無料のキャンペーンを行っていたので、なんとなく読んでみることにしたのだ。話の筋は、こうだ。造り酒屋で生まれた女性・夏子は故郷を出て東京の広告代理店でコピーライターをしている。ある時、実家の酒蔵を継いだ兄が亡くなってしまう。兄には、幻の酒米「龍錦」を使った酒を作るという夢があった。酒造りの経験はないが、利き酒の天才的な才能を持っていた夏子は、実家に戻って兄の意思を継ぐことになった。

世の道理として、このあらすじを読んだ時点で、たぶん物語はいい話に終わるのだろうなと、誰しも簡単に予想することはできるだろう。そして酒造りの過程でさまざまな困難が待ち受けているということも、やはりまた物語の道理だ。異常なことは、とにかく酒造りにかける夏子の「狂気」がちょっと凄まじすぎるのだ。細かな説明は省くが、定番の流れとしては、目的達成のために夏子が無茶な提案をする→周りの人が全力で反対する→なんだかんだで意見を押し通してしまう→とりあえず一件落着→また次の問題が発生する→最初に戻る。これの繰り返しなのである。

いろいろな正義のぶつかり合いである。夏子に反対する人々の意見も理解できる。むしろ読者としては「それぐらいちょっと妥協してみてはどうだ?夏子?」と問いたくなるシーンも度々なのだが、結果的には夏子の意見が通ってしまう。彼女の判断が正しかったのか否かは、物語の最後まで判明することはない。読者は終始、いま風にいうと”空気の読めない”夏子に振り回され続けるのだ。

「共感できない主人公」。最悪の響きだが、しかしこれがなぜだか読んでいて痛快なのだ。正直、エンディングまで読み終わった後も、夏子の行動に100%同意できているわけではない。自分も夏子のように振る舞おうという気持ちも起きない。むしろこういう人間が近くにいたらすごく厄介だったろうなとすら思う。しかし、なぜ自分はこの作品にこんなにまで夢中になってしまったのだろうか。

おそらく「アンチヒーロー」という言葉が一番ふさわしいのかもしれない。既存の言葉に回収されるのは面白くないが、いろいろな面で夏子は「アンチヒーロー」の条件に当てはまる。しかし、「亡き兄の意識を継いだ女性が、周囲の反対を押し切りながら日本一の酒を作る」という「善良」な雰囲気のストーリーが、夏子からアンチヒーローという印象を遠ざける。もしかしたら、人によっては「夏子って勇敢だな。酒造りって素晴らしいな」と、なんの違和感もなく最後まで読み切ってしまう人もいるかもしれない。そういうような作品であると思う。しかし、私は本書を読みながら、強烈な違和感を抱いてしまった。

妥協するなとか、忖度するなとか、自分を貫けとかそういうポジティブなメッセージや学びを、私はこの作品から得たいとは思わない。作者の意には反しているかもしれないが、夏子の狂気というは、むしろそういう安易な「共感」をぶち壊してしまうほどの力強さがある。果たして人は、人類80億人のうち誰一人としての共感も得られなかったら、その孤独に耐えることができるのだろうか。大袈裟かもしれないが、読者を拒絶するくらいの夏子の意思の強さは、そういう問いすら投げかけてくるのだ。

人生、長く生きていると、願わずして積極的に「孤独」を選ばざをえない場面もあるかもしれない。そんな時にこの『夏子の酒』という漫画は、強力なお守りとなってくれるのではないだろうか。



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