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トランプのアフガン特使

    アメリカのアフガニスタン特使のザルメイ・ハリルザードが気の毒である。アフガニスタンの反政府武装勢力のターレバンと延々と交渉し、この8月末に合意案の作成にまでこぎ着けた。ところが9月上旬にターレバンの攻撃でアメリカ兵が死亡すると、ドナルド・トランプ大統領が合意案の拒絶を発表したからだ。外交努力が水泡に帰した観がある。

 ところで、このハリルザードとは何者だろう。この人物はアフガニスタン生まれである。それでは、なぜアフガン人がアメリカ政府を代表してターレバンと交渉してきたのだろうか。

   この人物の生涯を追ってみよう。高校時代に交換留学生としてアメリカ生活を経験したハリルザードは、1970年代にレバノンのベイルートにあるアメリカン・ユニバーシティ・オブ・ベイルートを卒業している。通称AUBと呼ばれる英語で教育を行う名門大学である。そして、シカゴ大学の大学院に進み、パキスタンの核兵器開発の論文で博士号を取得している。1978年からニューヨークのコロンビア大学で教員を務めていたが、その翌年末にソ連軍がハリルザードの祖国のアフガニスタンに介入した。

 ハリルザードは、反ソ勢力に対する支援を訴え始めた。しかし故郷の親族に配慮してハンナ・ネギャラーンというペンネームでの執筆活動であった。ところが、ある編集者がペンネームと間違えて本名を印刷してしまった。それもあってハリルザードは覚悟を決め本名で書き始めた。さらに、アメリカ国籍を取得してレーガン政権で働き始めた。それ以来、共和党政権下では政治任用で要職を占めた。ブッシュ息子大統領期には、駐アフガニスタン大使、駐イラク大使、そして駐国連大使を歴任した。国連大使のポストの前任者は、先ごろトランプに罷免されたジョン・ボルトンであった。そしてトランプ政権になって、アフガン特使という任務を任された。これが、このアフガン人がアメリカを代表してターレバンと交渉している背景である。


*写真はザルメイ・ハリルザード大使(2012年7月、筆者撮影)


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