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ボードなコンピュータからCP/Mなマシンたちへ

パソコンが発売されるようになってもTK-80のような基板むき出しのマイコンでプログラムを動かしている人が、いなくなったわけではありません(今でも居ますし)。自分で作るときにはすべての機能を1枚の基板に収めるのも大変ですし、拡張のことなどを考えて機能毎の基板を作り、これをバスと呼ばれる共通のコネクタに刺して全体をマイコンとして動かすというのが当たり前でした。これはミニコンまでの時代ではポピュラーなやり方で、CPUボード、メモリボード、シリアルボード、ディスプレイボードなどがコネクタに挿し込んでありました。

もちろん自作だけではなくて、これらのボードを製品として販売している会社もあり、基本セットは買ってくるのだけど、拡張したい部分だけ自分で設計して作るなんて言う人も少なくありませんでした。映画「ウォーゲーム」で出てきたIMSAIなんかが代表的ですね。

IMSAI 8080

IMSAI 8080 - You know that computer from War Games

ウォー・ゲーム (映画)

こうして自作のボードでBASICを動かし、ディスプレイに文字を出せるようにするのが自作派の目標でもあったのですが、日本より早くディスクが普及し始めたアメリカにおいては、パソコンなんか買ってこなくてもボードを組み合わせたコンピュータにDOSを組み込んで使うことが新しい目標になりました。今まで苦労していたBASICを動かしたりアプリを移植するのも、DOSさえ動くようになってしまえば一気に解決です。そしてDOSというものは、そもそもパソコンと組み合わせて売られているものではなく、それぞれのコンピュータに合わせてカスタマイズすることを前提として売られていました。

CP/M

CP/M

こうしてアメリカではDOSを組み込んだボードを箱に収めたパソコン(的なもの)を売る会社も増えてきました。何も大きなメーカーだけがパソコンを売り出すものではなかったんです。既にパソコンを使っていた人であっても、拡張スロットに自作の基板を挿して使う人も多かったです。そういう私もAPPLE][の拡張スロットにアレコレ挿して、カードを設計したり(ハードはそこまで得意でなかったので人に手伝ってもらいましたけど)、そこに組み込むファームを作るためにROMライターなんかも刺さっていました。そしてCPUボードなんかも出てくるので、そこで動かすOSを自分で組み込むなんていうことまでしていました。そういう人は結構いたようです。

手作りZ80コンピュータ

ということで、EXCEL09と言う6809ボードにFLEX09であるとかOS- 9を一生懸命移植していました。基本的に文字の入出力とかディスクの読み書きをアダプテーションガイドというドキュメントに従って用意して、全体をリンクし直せばOKという感じで、慣れてしまえばそんなに大変ではありませんでした。

6909ボードの話 - FLEXの移植

OS-9とBASIC09

この手の汎用DOSは基本的に文字の入出力しかサポートしていなくて、グラフィック処理が無かったので、この時代に日本であまり使われなかったのは、それが原因かもしれません。パソコンでやることと言えば、もっぱら画面を活かしたゲームが多かったですからね。同じ理由でボード型コンピュータも広く使われていなかった気がします。もちろんオフィス向け(ただし英語のみ)であるとか、何かの装置につなぐような使い方の人は別ですが。細かいことを言えば文字の8ビット目が使えなかったので、テキストもカナは扱えませんでしたし、その他の図形文字もアウトです。この辺りは表音文字と表意文字を使う文化の違いが意外と大きかったのかもしれません。それが汎用化の妨げにもなっていたのでしょうね。ということで、この頃までアメリカでは名も無いメーカーの名も無いコンピュータが結構、蔓延っていたんだよという話でした。

ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。https://commons.wikimedia.org/wiki/File:IMSAI_8080-IMG_1477.jpg
Photograph by Rama, Wikimedia Commons, Cc-by-sa-2.0-fr, CC BY-SA 2.0 fr, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17541572による

#DOS #CPM #IMSAI #ボードコンピュータ #バス #ウォーゲーム

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