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発想の転換って大事。

私は高校時代から経営に携わり、今年で経営者歴6年目になるわけだ。

時を経るごとに考えは変わっていくものだが、初心を忘れてはいけないなということで立ち返る。

私が起業した理由は、社会を良くする大きなインパクトを与えたかったから。厳密にいうと、社会を変える中枢人部の一人になりたかったと言った方が的を得ているかもしれない。

故に、起業した理由はお金を稼ぐことではなかったのだ。

各々の目的を達成するため、そして取り組みを拡大するためにお金が必要だから、そのためのお金を稼ぐという考えに近い。

世の中には、お金を稼ぐこと自体が楽しく感じて、それ自体が目的化している人がいる。そういう考え方は私には無いので、正直に尊敬しているのだ。

しかし、私はそうはなれない。

そして、経営者として生きていると自分の中に葛藤が生じてくるようになっていた。

正直、稼ぐこと自体は難しいことでは無い。

別に、人間の抱える、代替策の存在しない、質の高い痛み(Pain)を見つけ、最適な方法で解決できる仕組みを創れば良いだけだ。

世ではそれを、「ビジネスモデル」と呼んでいる。

今私は本業の傍サイドプロジェクトも僅かなコストで回している。

多分それらも稼げるような仕組みにはなる。

しかし、心のそこにあったのは「ウキウキしねぇ。」ということだった。

表現の仕方を変えると、社会的意義に欠けるということ。この世界を大きく前進させていく感じが、ビジョンとしてイメージできない。

手堅く稼ぐことは容易いが、心の底からウキウキすることで稼ぎたい。

冒頭でも話したように、私が起業した理由はお金を稼ぐためではない。確かに、お金は強い力ではある。

私の中で「お金」を「万物に代替可能な社会ポイント」と定義しているほどだ。

私が起業したのは、社会・世界を変えたかったからだ。一種の自己満足であることは重々承知の上だが、それも世の人間の不を解消することが前提であれば、それはすでに、利己的であり利他的な欲求になっているのではないかと考えている。

生きている限り、この世界に大きなインパクトを与え続けたい。それが私の生きる意味、意義である。

そこで、もう一人の私が教えてくれた。

「発想の転換だ!」ってね。

なら逆にだ、「今やっていることは世界をどのように大きく変えますか?」ということをイメージできれば、なんら問題ないのだ。

そう考えると、発想の転換って大事だし、「世界を変えることを考える」と意識すると、別途多くのアイデアを不用意に生み出すことになるが、その行為は本質的には何も解決しないだろう。

ならば、「今行なっている取り組みは、どのように世界を変えるのか?」と考えた方が、より早く、より本質的に現状のモヤモヤを解決できるのではなかろうかと、そう考えていた朝でした。

「外に問題がある」そう考えるときは大概、自分の内側に問題がある。

心理は常に逆側に。

以上。

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