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牙を研げ〜第三章論理学〜

まず文章の捉えたかだ。【弱い犬ほどよく吠える。だからうちのポチは弱虫だ】との文章があった場合。矛盾がいくつも生じてします。弱い犬ほどよく吠えるの文章からは、シチュエーションによっては、よく吠えざるおえない事だ。どんなシチュエーションか説明がなく、よく吠えるという表現はおかしい。そして、うちのポチはという箇所については、ポチは犬かどうか説明がない事だ。普段の会話などに使えば相当嫌な人間だと思われる事は間違いないであろう。ただ嫌われる理論を勉強していくのも非常に大切になっていくであろう。

友好的な【うち】側の人間と話す場合、お互い価値観に違いはないが、逆に場合あえて嫌われそうな面倒臭い質問や論理を実施する事で、一定の距離はおけ向こうも構えざるおえない点だ。数学も論理の一つになる。海外で相手と話す場合、肌の色も目の色も違う場合、思考、私情に左右されないのが、数学的認識だ。

そして最後にトピックとしては、問題の場と問題をかけ違えない事だ。

「安保法制が問題 だ」とかいうのは問題ではありません、問題の場です。「 安保法制によって日本は戦争に巻き込まれるか」とか「安保法制によって日本の安全保障体制は強化されたか」という、こういう疑問文のかたちで出せるときになってはじめて問題になります。「天皇制は民主主義の発展を阻害 するか」「福祉国家は国民の真の福祉に寄与するか」ならば問題になります。だから、問題 の場と問題を混同しない。会議でも、問題の場について議論しているのだったら絶対に収斂しません。 会議などでは、必ず疑問文にし て、いくつかの問題を出すというかたちでのテーマをつくることがとても重要になってきます。

なかな難しい。。しかも久しぶりの更新とは。。。。

日々の仕事に追われてる皆様、本を手に取る活力の得かたを教えて下さいませ。日々の仕事に決して満足と充実を覚えてる訳でもなく、気遣い、見えない課題に手探りの状態が続き、酷く磨耗し、何事もない事が素晴らしいなど、非イノヴェイティブな思考に陥ってる自分は認識できているので…



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