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ドラマから大ごとにして駄作化した劇場版シリーズは結局何を描いていたのか【SPEC~結~ 爻ノ篇】

スペックの超常現象による未詳事件を解決していく刑事ものだったドラマから、一気に能力バトルと化し気づけば人類と世界規模の話にまで風呂敷を広げていった劇場版シリーズ。

アマプラ配信を機に初めて見終えたが、面白かったドラマ版から世界観を大ごとにしてA級作品にしようとした割に設定がガバガバで分かりづらく、掘り下げが薄いAになり切れないつまらないB級作品に終わった感想を抱いたのは自分も正直なところだ。

レビューでも酷評は多いが結局この劇場版で描いていたこの世界観はどういうことだったのか敢えて分かろうとしようと思う。

あらすじ
特殊超能力スペックをめぐる争いは、人類全体での殺し合いへとエスカレート。大切な人の死と「シンプルプラン」の実態に怒りを募らせた当麻は、瀬文に見守られながら自らのスペックを解放する。そんな中、倒されたはずのスペックホルダーたちが復活し…。

セカイ系が舞台となった劇場版

総合して全てのシリーズを見終えるとSPECはセカイ系の物語にしたかったのだろうということが分かる。

セカイ系とは
日本のマンガ、アニメ、ライトノベルなどの物語構造における特定の傾向を指す言葉。 具体的には、若い男女の恋愛関係を典型とする狭小な人間関係が世界の危機や終末を左右するといった極端なファンタジーに基づく物語構造のこと。

代表的なのはエヴァンゲリオンだが、君と僕が出会うことで終焉を迎えたループする世界というのがSPECのテーマであった。

劇場版では怪奇現象と刑事ものからなる国家権力からは遥かに超えた、人類の選民階級による「御前会議」の存在が現れ地球規模の話に大きくすり替わっていく。

そこではスペックの力を持つ「先人類」と隕石落下以降何らかの物質の影響でスペックの力を持たなくなった「新人類」で線引きされており、

先人類を人間兵器として管理しようとする新人類の扱いに、ユダやガイヤを初めとする新人類はいつしか対立し、種族の復権のために現人類を滅亡させようとしたことで地球を巻き込む大ごとの世界観になっていく。

またSPECの世界は常に「平行世界(パラレルワールド)」だったことがユダによって明かされ、役者の顔はドラマ版から地続きで同じでも配役は全く違う世界で回っていたということだった。

セカイが「ガイア」を何度も口にしていたのはセカイは当麻を使って平行世界を何度も移動しており、先人類と新人類の構成である地球を一つの命として解釈してそれらが繰り返し滅亡することで世界の浄化をガイアの意志として繰り返してきたからだった。

新人類は先人類の干渉によって核戦争で滅亡することを必ず選んでおり、今回も全てを明かしたうえで同じ選択をさせようとしたのが今回の話。

当麻は左手で死者を実体化させ、右手で異界への扉を開くことができるため、セカイなどは当麻を平行世界に移動できる入れ物として何度も利用されていた存在だったことも明かされる。

当麻が先人類の魂を回収し複数の世界線に移動することによって新人類の歴史に先人類が干渉することを可能にしてきたということだった。

しかしSPECの世界線では瀬文と出会ったことで当麻は最後に自我を保つことができたことで先人類の魂を抱えたまま瀬文に射殺を要求し、彼の存在が特異点となったことで世界軸が変わって終わる。

当麻は先人類の干渉がなくなったことで過去が書き換えられて空白の存在となり、唯一干渉されようとしていた過去の正しい時間軸を知る概念となった。

瀬文が射殺した後刑事たちに捕まったのは過去が書き換えられて誰もそれまでの展開を知る存在がいなくなったことを表わしているシーンになる。彼は世界を救う特異点となったが人を殺めた事実だけが世界には認識され法の下で裁かれる世界に戻ったことを受け入れて終わっていったのだった。


ラストシーンに当麻と瀬文が手を握ることができた意味

この辺は考察が別れているところだが、瀬文が死にかけているところで当麻の左手に触れることができたシーンだった。

当麻は正しい世界では誰も認識されなくなり、SPECホルダーによって起きたことも回避され他の事象として書き換えられているのだろう。そこで起きた怪奇現象や奇跡は彼女が受け持ちそういう「概念」として生きている世界線になった。

その書き換えられた世界の中で瀬文だけが唯一彼女の存在を認識したことで当麻は再び目を覚ますことができたのがあのシーンなのだと思える。

SPECを持たない瀬文は当麻との死後も接点があるはずはないのだが、セカイと対峙することができた時点で何らかのSPECが最後の「なめんな」と共に発揮されたのだろうと考えられる。

新人類に干渉してきた先人類とは違う新たな人類のカテゴリーにいたのが瀬文だったと思えばそれなりに綺麗な終わり方だったと思う。壮大なラブストーリーだった。


「天」の終わりに雅が手紙を読んでいたのは何だったのか。

天では先人類によるテロが勃発して係長の女である雅ちゃんが彼の手紙を泣きながら読んで終わる。あの辺の繋がりが結シリーズでは放置されておりシリーズとしても悪い伏線未回収である。

結の話を整理しつつ思うと天の話もパラレルワールドの一つの世界線の結末だったと片付ければそういう気はしてくる。結の前編でも係長とハワイ旅行の待ち合わせをしたが彼がそこに現れたことでまた変わったのかもしれない。

ただ雅ちゃんだけが天で生き残った理由も何も説明されないので彼女の存在の意味が何も分からないまま終わった。挙げだしたらキリがないがこういう意味のありそうな描写を放ったらかしにしてるところがシリーズとしても意味が伝わらず物語として評価されなかった理由なのだろう。


敢えて分かろうとして整理してみたらこういう世界観を描きたかったのだろうというのは分かったが、簡単な説明や掘り下げも少ないわりに世界観だけずっと大きくなっていくのを歯切れ悪く見せられるのが劇場版だった。3作もつくる必要もなかったし劇場版は退屈で振り返っても蛇足に思える。

結も御前会議の規模まで見せて現人類にとってどれたけ驚異的な敵になりうるのか見せるまでは理解できたが、その象徴となる卑弥呼と二の前のクローンが最後の見せ場でなぜか味方になったり、あっけなく終わるのは結局何がしたかったのか。

先人類も結局考えていることはバラバラでクライマックスで対峙するシーンも潤の情に流されてセカイの相方が味方になるところで冷めていった。大事な能力バトルになるところでも緊迫感ある見せ方がCGだけにお金をかけているだけで当時から雑になっていたのは分かる。

この辺の見せ方も韓国映画の「THE WITCH」が非常にうまかったのを思い出す。設定はB級なのに見せ方が細かくて質の高い映画に見せられることは邦画では既になく超えられてた。

ファティマの予言やソロモンの鍵など魔術ものやオカルトものでは喜びそうなワードは出てきても話に関係することは浅く、考察しがいのない作品に終わった。

せめてドラマの時にもう少し突き詰めていればそれなりに面白いシリーズにはなりそうっだったのに制作側も雑で、観てる側も置いてけぼりのままになってしまったシリーズだった。





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