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ガンダムSEED DESTINYだけなぜつまらなかったのか。【SEED FREEDOMの役割】


ガンダムSEEDFREEDOMの公開を機に過去作も配信で届きやすい距離に来たのでようやくみた。

SEEDからDESTINYまで約100話分あるがあまり興味ない人は総集編でも十分だろうと思う。フルで観ても結局混乱することも多い。

最初に全部観た感想としてはSEEDは面白かったがDESTINYで続編の結び方をミスりまくってたのは否めない。当時考察の発信なんて流行ったたら誰も報われないシリーズだったと思う。そこからFREEDOMで返上できたのは素晴らしかったが。

ガンダムSEEDは宇宙世紀から外れた新たな時代の話ではあるが監督や脚本担当したその奥様も語ったとおりファーストガンダムやZの伝統を学びなおし踏襲して作られたのは感じられる。露骨なオマージュもかなり組み込まれている。

しかしイマイチ話が分かりづらく評価も別れるのは宇宙世紀で見られる原理的な政治思想や世界観の話が終盤まであまり表に出てこず、もっとミクロで観た戦争の中心にいるキャラクター達の過去や葛藤でストーリーや世界観をかき回していく構成が多いからである。

そしてその中心にいるキラ、アスランのW主人公の少年の葛藤だけではなく、そこに関係するラクス、フレイ、カガリなどの「少女」が彼らの葛藤を引き寄せる形で話をかき乱していく。

幼馴染で対立する少年W主人公の葛藤に未熟でか弱い少女の涙で成長していく少女漫画のような設定をガンダムに組み込んだのがSEEDシリーズの新しさであり女性人気もついた理由なのだろう。しかしおじさんとしては正直見づらさはのこる人の多い作品だったと思う。

SEEDから続く複雑すぎる対立構造



あらすじ
キラ・ヤマト、アスラン・ザラという親友同士の2人の少年を中心に動いていく物語。舞台はコズミック・イラ(C.E.)と呼ばれる未来世紀。「コーディネイター」と呼ばれる遺伝子調整で生まれた優秀な人類と、自然のままに生まれた人々「ナチュラル」の対立が戦争に発展し、キラとアスランは両軍に分かれて戦うことに

SEEDから続く基盤としては「コーディネーター」と呼ばれる遺伝子調整によって生まれた新人類により、自然のまま生まれた「ナチュラル」との様々な差別や嫉妬芯により対立が生まれ、「血のバレンタイン」を機に本格的に争うこととなる。

ナチュラル側(地球連合軍)につくキラヤマトと、コーディネーター側(ザフト)につくアスランの対立を中心に展開されていく。

この対立軸で話を進めていたら見やすかったが中盤から中立国オーブの登場も皮切りに、後半はアスランやラクス、フレイなど話をかき回していた中心人物が寝返りまくるので混乱する。

結局ラクスが平和を願う象徴的な存在となってコーディネーター側からも独立したために第3勢力「クライン派」が生まれたのが始まりだった。

SEEDシリーズは歴代のガンダムと比べても稀なほど未熟すぎる少年少女が描かれ彼ら自身の選択で物語がひっくり返る展開にされている。それほどまでに両陣営にケアできる「大人」が出てこないのは大きな特徴だった。

大人の存在はあっても「危機管理」は織り込まずに時には裏切りながら「選択と集中」だけで決断する指導層しかいないのである。

そんな中でもアークエンジェルにマリューという女性艦長を据えたことはキラを支える母性という視点でも意味のあることと思えたが、彼らもまたその大人に振り回される中間管理職で余裕がない。

序盤でキラがムーに軽く殴られそうになるところをよけるシーンもあったがあれはファーストのアムロの時とわざわざ対比させたのだろう。

アムロには本気で2度も殴れるブライトがいたがキラには避けられてしまうほどの同族の理解者もいなければ、軽い叱責ぐらいしかされないどこか無関心な大人しかいない時代も含めた対比が個人的には垣間見えた。

孤独の少年主人公が母性を同じ世代の少女に求めるのはアニメでもよくある話ではあるが、あまりにも関心を向ける大人がいなかった結果少女も未熟なまま対立を促すまでに至った。

キラやアスランなどの少年らが、大人ではなく同じ世代の少女の母性に振り回されたのはそういう意味では必然だったかもしれない。

フレイが悪女や嫌いだという評判なのも理解できるが彼女もコーディネーターとしては孤独であり成長する機会に恵まれなかった意味では残念な人物だったと思う。

どうやっても少年少女の成長と危険を想定した選択でしか終わらない構造にしたのは露骨なシリーズであり面白かった。


ガンダムSEEDDESYINYはなぜつまらなかったのか


あらすじ
C.E.70…。ザフトと地球連合の戦いは熾烈を極め、第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦の後に停戦条約が締結された。だがこの停戦条約によってナチュラルとコーディネイターの争いの火種が消えたわけではなかった。その戦乱の中、シン・アスカは地球連合軍のオーブ侵攻に巻き込まれ、眼前で両親と妹を失う。唯一の形見、妹の携帯電話を握り締め悲しみにくれる中、頭上をこの戦争の元凶である「モビルスーツガンダム」が飛び去っていく。オーブを去った彼は、プラントへと渡る。そして、C.E.73。彼はザフトの戦士になっていた…。

1、一兵士の復讐劇でしか描かれないシンアスカ

ここから続編への話になり主人公はキラ、アスランに追加されたシンヤマトが新主人公となる。

序盤はヤキン・ドゥーエ攻防戦の裏側には被害者側がいたことに生々しくスポットを当て、その一人であったシンが戦いを決心する始まりはとてもよかった。

しかし中盤以降も彼の兵としての活躍はあっても立場や責任感は何も上がらず、精神的にも妹の死に囚われ続ける一兵士の復讐者のまま何も寄り添えずに終わっていったのは一体我々は彼を通じて何を観させられていたのかと思った人は多かっただろう。

成長したはずのアスランが要所でシンに継承していく話でも良かったけど、彼もまたザフトに戻って優柔不断さや周りが見えないままの主人公なので話も渋滞したまま。

大人が出てこないのはここでも継続され成長したキラやアスランもシンの成長に関わることは結局なかった。

シンが捕虜にされたステラをネオに返しに行った場面も、SEEDでキラが捕虜のラクスを返しに行き、連合軍にきちんと帰って彼の責任感を一層強めて見せたという場面をわざわざ被せた場面と誰もが思った。

が、ネオはシンとの約束を一瞬で破りさらなる彼の闇落ちを促す突っ込み展開でその後一気に冷めた大きな要因だった。

Zのファウが退場したカミーユの突き落としまでをオマージュして狙ったのだろうが、主人公としての役柄がいつまでも低かったのと何も成長してこない彼の姿では視聴者も笑ってしまうしかなかった。

後半からデュランダル議長から表彰され対立構造もSEEDからスッキリさせてかなり見やすい作りだっただけに、最後まで幼稚なままクローンに利用されて終わるのは残念だった。

2,小物感しかなかったロゴス


SEEDの後半ではムルタアズラエルが統括するブルーコスモスと呼ばれる組織が登場しその後継組織となったロゴスがDESTINYで再び登場する。

ブルーコスモス
国際法でコーディネイターの出産は禁じられたにもかかわらず違法に生まれ続けるコーディネイターに不満を覚えた一部のブルーコスモスが過激派と化し、コーディネイターやその製造に関与する者たちに対する迫害テロを行うようになっていった。

ブルーコスモスの思想を見てると南北戦争辺りまでを集約したアメリカがモデルだったのではないかと思う。黒人やインディアンなどの移民を法制度の構造を根拠にそもそも「人種として含まなかった」考え方や争いは似ている。

当時は911もありその被害側でもあった物語を載せた存在だったのかもしれない。「自軍の損失は最小限に、敵には最大の損害を」は有名なセリフになったがアメリカのその後の対応やそれ以前の歴史を振り返るとピンとくる思想であった。

SEEDの世界観はある種平成の日本的な思考で争わせた部分もあったがそこにアメリカ的な思想の団体が入ってきたらという文脈で見るとかなり小ばかに見える扱いで彼は散ったが、世界観を彩る上では面白かった。

そこでDESTINYではその残党とされる秘密結社のロゴスが登場するが、党首の支部リールにはそのような思想は感じないまま感情的になりやすいだけのキャラで終わったのはつまらない。

ブルーコスモスも組織思想として褒められた存在ではなかったが、未来におけるディストピアのような現実を象徴する存在としては面白かっただけに咬ませ犬ぐらいにしかならなかったうえでは話としての厚みもない要因に思える。

3,ムウはただ生きているだけだった

ムウの生還は個人的に感動はしなかった。

声で初めからバレてるのもあるが、彼が生きているならクルーゼが実父のクローンであったという伏線を通じてコーディネーター出生に関わる核にせまる物語をもう少し広げてほしかったのはある。

生きていた過程も遺伝子操作に関連する潜在能力などの話に広げてもいいのに簡単に処理されて終わった。彼の家系は謎が多くて面白そうなのに続編ではザフトに回ってその伏線が上手くつながらず生きているだけだった。

レイのクローン告白も畳みかけで取ってつけたようにやるからめちゃくちゃだった。いずれにせよ2人のそこにいたる過程の話が適当にされてるから終盤も感動はできなかった。

この辺の話にもう少しスポットが当たればデスティニープランに対する見え方も変わっていたと思う。


デスティニープランとFREEDOMの役割

終盤はデスティニープランを巡って争っていく。

デスティニープランは個人の遺伝子を解析し、適切な運命をそれぞれに担っていくというもの。それによって人間の欲望は制限され争いに発展することはなくなり、恒久的な平和が確立されるというメリットがある。

その反面個人の自由と希望を持つことも許されない世界となるが、ナチュラルとコーディネーターが争う経緯としては理にかなっていたために多くの国も賛同していくのだった。

そこに反対していくのがコーディネーターのキラやラクス陣営。そもそも遺伝子操作により運命を半ば強制的に決められてきた存在である彼らが、自らの選択で再び戦う意味になっているのは上手くできていた。

発足したデュランダル議長も選択と集中による管理の思想と計画に従わないものには核による軍事制裁の二重の構えによりSEEDの文脈上としても対立せざる得ない。

結局キラ側が倒し終戦していくがFREEDOMではこの選択が本当に良かったのかという話から始まるらしい。(まだ観ていない)

ディストピアとユートピアの選択における裁量の話は決まってSFではある話だが、ナチュラルによる提案をコーディネーターが潰したという事実は今後訪れる争いをまた生む意味でもある。

デュランダル議長とその元恋人であったミネルバの艦長はSEEDシリーズでは珍しく大人なキャラクターだったと思うがそこに付随してついていける人間は残念ながらいなかった。

FREEDOMが20年越しの結びを担っているのであればデュランダルの面影についていける人間とキラやアスラン自身が大人として最良の選択をできるハッピーエンドでなければいけないのは想像できる。

FREEDOMのあらすじと大ヒットできた役割を前提にDESTINYは起承転結の繋ぎの部分であったからこそ残念な作品に終わったのだと諦めるしかない。当時のファンを思うとよく辛抱できたと思う。





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