令和の辺境地に突然訪れる「担い手問題」に着手した哀しい復活【映画「Dr.コトー診療所」】
当時のロケーションやキャストもほとんど変わらせず同窓会的な映画としてもよく復活させたとは思えたが、それだけではなく物語はこの令和に復活させた意味も感じさせるかなり重いテーマでもあった。
今作は財政難による医療統合とコト―先生が重度の白血病になったことで、いきなり志木那島における医療所の担い手問題が急激に挙がりはじめていく。
今回から東京から研修として新たにやってきた判斗が医師として診療所に加わるが、島民はコト―と家族同然の付き合いをしてきたために老人らは判斗自身の存在をほとんど受け入れようとしない。
判斗もまた都会の若者らしい人物で島民としてではなくあくまで病気を見るための患者としてしか彼らと向き合わない。
現代の医師は治療のための統計と向き合うことには長けているが、個人と向き合う身体的な感覚を重んじる診察をする医師は観なくなったと聞くが、正にそのような対比がコト―と白兎の診察シーンや島民らの反応で描かれる。
またドラマで医師を目指す子供として長く描かれたタケヒロも復活してその後の姿も描かれていくが、彼にも複雑な事情を抱えており医師の道としては半ば挫折に近い状態になっていたことも明かされる。
そうした跡継ぎ候補がいない中コト―が生死に関わるところまで奮闘することで、一人の人間にしか頼らざる得ない辺境地の構造的な問題を浮き彫りにさせていくことが今作の大きな重いテーマとなっていた。
昔のドラマのままの繋がりであれば跡継ぎの自分の息子が既にいたり、タケヒロのような同じ分子が既に医療所で働いて弟子への「継承」と「成長物語」にフォーカスして話が進んでいくのであるが、
子供が生まれる前から既に限界に達しており、自分の継承ができる者もいないまま、都会の余所者になんとか頼るか自分が余所者として消えてしまうか苦悩するのが現代までの請負手を映す最後の姿なのかと悲しくなる話だった。
自分はリアルにそういう限界となっている現場にいたことがないから分からないが、コト―の状態は極端だったとしても余所者が近い繋がりにいたりタケヒロが島に帰ってきたりするだけでもまだマシな状態なのかもしれない。
結局コト―は継承する選択もないまま最後まで奮闘し続け、ラストの彼の行方は観客に委ねられた状態で終わっていく。
久しぶりの復活ということもあって話の要素が多く終わり方もスッキリしない中途半端な話だったという人もいた。確かに細かく上げれば違和感が残るものはある。
ただ突然訪れる担い手問題という現代のリアルな社会的なテーマを扱う上では辺境が抱える構造とコト―先生の苦しい現状を映しだせる詰め込み方でもあったと思う。そしてこういう複雑な問題に中々スッキリする答えは出ないのもこの作品における答えなのだろう。
個人的には結局燃え尽きて無表情になりながらもあの診療所を1人請け負わないといけないという終わりだったと見えた。
こういう復活作品で主人公に生死を問わせるところまで行くのは話としては禁断な部分もあるが、現代の担い手問題を元に彼の孤独な悲哀を見せるテイストとして味付けにしたのは悲しすぎるが重さとしては良かった。
主演の吉岡秀隆も相当迷っての今回の参加だったというのは聞いていたが忠実な復活の問題と言う意味ではなく、こういう終わりだったことで迷ってたなら納得いく。
医療の側面から辺境の問題も見せ続けていたドクターコトーのラストとして、自他の心を持った人間の姿とその継承者が最後まで現れてこないことが令和に見せる意味を纏わせる話だった。
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