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「突き詰め型」タイプの成長痛

私は多分、一般的に見て自由に生きている方だと思います。
世間体のようなものはあまりに気にせず、やりたいことをやりたいようにやって生きてきました。そしてこれからもそうやって生きていくと思います。

今も自分で選んだ仕事をしています。ライター業です。
言葉が自分の根幹に触れた時の、魂が揺さぶられる感じが、なんともたまらなく好きなんです。

書いていてもそんなことは滅多にありませんが、たまに出会うその感覚に、涙が溢れ出すほど抑えきれない感情がこみあげるのです。

そういう経験ができるので、ライターという仕事を続けて早3年?4年が経ちます。

けれど、昨年をピークに本当に書くことが苦しくて苦しくて。苦しくて仕方なかったんです。なんでこんな修行みたいなことをしているのか、自分で決めたことだから、止めることも自分で決められるのに、なんでそんなに苦しく辛い思いをして続けていくのか、ドMなのか、不思議で仕方ありませんでした。

思い返すと、11年?12年?続けていた整体の仕事を始めた最初の3〜4年も同じような感じでした。

施術するための「手」が出来ていないので、体の固いお客さんに「強めに」と言われるたびに強く押せるように頑張り、仕事から帰ると氷水で手を冷やして痛みや炎症を抑えてまた翌日の仕事に向かう。

技術だけでなく知識もないので、分厚い参考書を肌身離さず持って、通勤の時間も無駄にせず、道ゆく人が「骨」と「肉」に見えるくらいまで勉強をしていました。それは親しい友人から心配されるほど……。

今、前職と同じように、苦しさと辛さの真っ只中。

こんなに辛いのに、こんなに苦しいのに、なんで「止める」という選択肢が出てこないのか、そう考えているときに、ふと目に止まったインタビュー記事がありました。ヒントはその中に。

そこには、「苦しいけれど突き詰めてしまう」という一文が載っていました。そして調べていくと、「突き詰め型」というタイプの人間がいることが発覚!

私はまさにこれです!

ということは、「辛い」「苦しい」と感じているとき、それは目の前にある対象物や障壁と向き合っている証拠。これを乗り越えたら、次のステージが見えてくる。そして、見たことのない景色が広がる。自分との戦い。

イメージする自分になるための成長痛が、今感じている「辛い」「苦しい」の正体だったのかと思うと、悲観的になりすぎずに前に進んで行けそうな気がします。

もし今これを読んでくださっているあなたが、自分で選んだこと、好きなことをしているけど、「辛い」「苦しい」と感じていたら、それは今より生行くための成長痛だと思って、その感情を噛み締めて一緒に前に進んでいきましょう。

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