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中森明菜「原始、女は太陽だった」

「原始、女は太陽だった」
作詞: 及川眠子 作曲: MASAKI 編曲: 岩崎文紀

1995年6月21日発売のシングル曲。

同時期のヒット曲は、
岡本真夜「TOMORROW」、シャ乱Q「ズルい女」、
スピッツ「ロビンソン」「涙がキラリ☆」、
酒井法子「碧いうさぎ」、B'z「ねがい」「love me,I love you」等々。
上記のようなロングヒットが並ぶ中、
瞬間最大風速のみ強く、2週目以降は一気にランクを下げる、
いわゆる現在のヒットチャート上の多くの曲のようなものが増えてきた時代。
それでも、これだけ名曲がある時代なのだから、音楽業界にとってはまだまだいい時代だった。

さて、この頃の中森明菜は、セールスはさておき
MCAビクター在籍中で最も脂の乗った活動をしていた。
最も本人の作りたかったイメージに合ったアルバム
「la alteracion(ラ・アルテラシオン)」と
同時期にリリースしたのが、このシングル曲。
彼女の生き様をそのままさらけ出したような楽曲。
デリケートな内容も含め、敢えてこの曲を彼女は選んだ。
その意気込みが、何よりもこの楽曲の一番の魅力だ。

「誰・誰・誰・誰・誰も~」というサビのリフレインも、当時流行した「エヴァンゲリオン」のようで印象的。
(作詞の及川眠子氏はまさに「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」の作詞も担当!本作は「残酷な天使のテーゼ」の4ヶ月前にリリースしているということは、作成時期が重なっていたのではと思える。)

だがまずもって、紅く眩しい太陽が昇る映像を想起させるドラマティックなイントロが、聴く者の「明菜の曲だ!」という期待感を一気に増幅させる。
熱く情感溢れる彼女の歌声は、やはりラテンのリズムとの相性が抜群だ。

そんな歌声に拍車をかけて盛り上げるのは、「パッパパン」と拍手のように鳴り止まないパーカッション。
美しく情熱的なストリングス、
そしてバンドネオン(アコーディオン?)の、
時に激しく、そして時に哀愁を帯びて響く音色が、女としての哀しみを抱えながらも、
女として熱く生きていこうとする主人公の心情を代弁するかのように、彼女のそういった感情移入に溢れたヴォーカルを、後ろからしっかりと支え、華を添えている。

この曲は、NTV系音楽番組「FAN」において歌唱された。
アップテンポのラテンのリズムに乗って、華やかかつ激しい振り付けで、得意の明菜ビブラートも発揮しながら歌い切った。

当番組のナレーションは、俳優、時任三郎氏だったのだが、
この楽曲のラストで、氏の語った言葉がこれだ。

「原始、女は太陽だった。
 そして、中森明菜。あなたは日本のポップス界にとって、かけがえのない、太陽。
 いつまでも、いつまでも、輝き続けなければならない。」

この言葉には、感動した。
そして、歌い踊り終えた彼女は、素晴らしいセット・ライティング、そして番組スタッフの中で歌えたことを、素直に喜び、涙を見せた。
やはり、中森明菜。
ここまでエンターテイメントを何よりも愛し、それを完璧に仕上げて、観るものを魅了するあなたは、日本のポップス界にとって、なくてはならない存在だ。
それが、復帰することであっても、もう楽曲だけでしか聴くことができないとしても。

なお、この曲はそこまでヒットしたわけでもないが、ファン内、また知っている者同士でのカラオケで、うまく歌えれば非常に盛り上がる曲だ。
サビの盛り上がりがはっきりしているところ、
音域がそこまで広い曲でないことを考えると、
カラオケで歌いやすい、失敗にはなりにくい楽曲だと言えるだろう。

(※この文章は、作者本人が運営していたSSブログ(So-netブログ)から転記し加筆修正したものです。)


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