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動物病院のカルテ ジェノサイド

19世紀後半ー
当時の遺伝研究はまだまだ発展途上だった。
その中で『優性思想』というものが提唱された。
優秀な人の遺伝子を残して、悪質な遺伝子を人工的に淘汰していこうというものだ。
これはディテイルを変えつつ、近年まで続いた。
日本でも、各種疾患を持つ人たちに対する強制的な不妊手術や出産制限に対しての裁判が、令和の今でも続いている。
悪名高い「らい病予防法」と言えば、ご存知の方は多いかも知れない。
これも、それらの一部である。
ナチス・ドイツや中国共産党では、不妊手術による断種も公然と行われていた・いると言われている。
大きな規模では、民族の不妊手術が進めば子どもが出来なくなり、人口が減り、いずれその民族は滅亡する。
こんな考えが世界中にあったのは、当時その恐ろしさがわからなかったからなのだろうか?
わかっていて、国家や集団の戦略としてやっている事例もあった・あるが。
いずれにしても。
子どもを持つことを他者に制限されるなんて、許されるわけが無い。



動物病院には、ボランティアの人がくることがある。

何をしにくるのか?

彼らの活動のうちでメインとなるものは、外にいる猫を捕まえて不妊手術を施すことだ。

何のために?

殺処分を防ぐために…。
家畜保健所では、数多くの犬や猫が殺処分されている。
いわく、地域で繁殖している猫が出す糞尿が不衛生である。
ゴミ捨て場を荒らす。
地方によっては、固有の鳥や小動物を食い荒らしてしまう、というのもその理由に加わる。
だから、殺処分、である。
それは可哀想だと考える人たちがいる。
その人たちは、殺処分の対象として子猫が圧倒的に多い、ということに気づいた。
そして、子猫を生まれさせないようにすれば良い、と考えた。
その方法が、不妊手術である。

多くのボランティアの人が目指すのは、その地域にいる全ての猫に、不妊手術を施すことだ。
「この辺も猫を見かけなくなりましたね」
「何年も頑張ってきた成果が出てきましたね」
などと嬉しそうに話す。
この地域で起きたのは、子猫が生まれなくなり、猫という動物が殲滅されたという現象だ。
つまり、人がその地域の猫を絶滅させた、とも言える。


「羽尾先生!」
先輩獣医からの呼びかける声で、新人獣医の羽尾高志は思考を打ち切り、我に返った。
「あ、はい」
「今日の地域猫スペイの術者、やる?」
新人にとって避妊手術は、外科の技術を習熟すのにもってこいである。
「あ、はい」
「じゃあ、成書を読んで手順をおさらいしときなよ」
「わかりました」
先輩獣医が入院室へ踵を返すと、羽尾先生は『小動物の実践外科学』を取りに、医局へと向かった。
手術を成功させるためには、目の前にいる動物に集中しなければならない。
だから羽尾先生は、それまでの余計な思考を頭から締め出した。
不妊手術を受ける猫の、安全のために。

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