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動物病院のカルテ 不妊手術(女の子)

「どうして去勢手術をしなければならないのですか?」
診察のときに、度々聞かれる質問です。
「義務ではないんですけどね」
と前置きしてから羽尾先生は答えます。
「色々な病気を予防出来るので、生活の質が良くなり長生きしやすいです」

ちなみに去勢手術とはオスの精巣を摘出する手術、避妊手術とはメスの卵巣を摘出する手術で、その二つを総称して不妊手術とよばれます。

「もう一つあります。
この子は人の家庭で暮らす以上、繁殖行為ができませんよね?
それはなかなか辛いかも知れません。
でも去勢手術は、そのような衝動を無くしてあげられるので、精神的にもかなり楽に過ごせるはずです」
実際に、サカリがついて可哀想だから、という理由で不妊手術を依頼されることも少なくありません。


「ねぇ、高志さん」
呼ばれて振り向いたら、羽尾先生が獣医になって初めて避妊手術をした猫だった。
「久しぶりだね」
そう話しかけながら、そうだこの子の名前はトーチカだったっけ、と羽尾先生は思い出した。
「あの時はお世話になったわね」
手術後は調子が良いらしく、トーチカは何年も動物病院に来ていない。
「元気にしているかい?」
「お陰様でね。でも一つだけ困ったことがあってね」
「困ったこと?」
「フフ」
謎めいた笑いを見て、羽尾先生は(なるほど、猫っぽいな)と思って微笑んだ。
「わたしね、引っ越したのよ」
「だからしばらく来なかったんだね」
目で肯定しながらトーチカは続けた。
「そこは田舎だからね、外飼いになったのよ」
そういうと、クルッと回ってみせた。
毛や肉球は外の土埃で少し汚れ、額など数カ所にケンカ傷が出来ていた。
「大変な生活だね」
今度は否定。
「パートナーと知り合ったわ。外に行かなければ、それは出来なかったことよ」
それは良かったね、と言うよりも早くトーチカが口を開いた。
「わたしたちね、赤ちゃんが欲しいの」
羽尾先生は、一気に鳥肌たち背筋か寒くなった。
「わかるでしょう?」
「うん…」
「でも、出来ないのよ」
「うん…」
「こんな手術をして欲しいなんて、わたしは言っていないわ」
「うん…」
もうしばらく前から、これは夢なんだと、羽尾先生は気づいていた。
それでも、トーチカには真摯に向き合わなければ。
そうでなければ自分は、獣医として、人としていけない気がする。


そこで、目が覚めた。

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