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アダム・カヘン著『敵とのコラボレーション』発行記念講演会メモ

・コラボレーションする必要性が高まっているなかで、好きではない相手とコラボレーションすることは難しくはない。仕事だから、割り切れる。賛同できない人ともそうだ。しかし、最も難しいのは信頼できない人とコラボレーションすることである。

・変化が激しく複雑な社会になったいま、気の合う仲間だけで問題を解決するのは不可能である。敵(好きではない、賛同できない、信頼できいない)ともコラボレーションする必要が出てきた。

・アダムカヘン氏の取り組み、メキシコの政治腐敗への介入の事例。政治家、軍幹部、CEO、NPO、医師、右派左派など異なるイデオロギーを持つあらゆる分野の33名のリーダーが集まり、メキシコの未来に起こり得る可能性について対話を行った。彼らは互いに信頼できないと思っていたし、敵対していた。それぞれが自分たちの望むようにメキシコを変えたいと思っていた。では、なぜ集まれたのかというと、それは彼らが自分たち単独ではメキシコを変えることはできないと思っていたから。

・金土日の三日間のワークショップで、日曜の朝に参加者の数名から不満の声も上がった。このプロジェクトは上手くいかないのではないかと感じたが、ワークショップが終わった後も活発にLINE上で参加者がやり取りが起こるようになっていった。ここにメキシコを変える力が育っているのを感じ始めた。

・2年が経ち、メキシコ地震が発生。同時期にメキシコの違うコミュニティのLINEグループに参加していたアダムは、双方のやり取りを見ていた。出来て間もないグループでは地震発生直後、「○○の初期対応が遅い、○○が悪い、あいつは何をやっているのか」等とLINE上で互いを罵り合っていたが、2年間かけて関係が築かれたグループでは「我々には5トンの救援物資がある」など自ら貢献の姿勢を示し協力関係が築かれていたのが明らかに分かった。その後、このチームはメキシコの可能性について自分たちの方針を発表。ワークショップが結実を迎えた。
※この事例がアダムの象徴的な取り組みだった。

・かつての著書でアダムはコラボレーションの必要性を説いてきたが、実践を重ねてきて今は違う考えにある。
コラボレーションという言葉には2つの意味がある。1つは他の人と協働することだが、もう一つの意味として裏切って相手と組む(コラボレーター)という意味も孕んでいる。つまり、コラボレーションという言葉には、つながりという意味と、対立という意味が内包されている。多様な人と何かを行うというのはこのような緊張関係にある。

・コラボレーションを行う上で考えなければならないこと、それは「コラボレーションは唯一の選択である」という暗黙の前提に陥っていること、思い込みに気づくことである。私たちにはコラボレーション以外にも以下の3つの選択(オプション)があることをまず理解するべきだ。

1.強制(Forcing)…他の解釈では義務づけるという側面もある。デフォルトという考え方もある。これは悪い選択ではなく、上手くいく場面もある。力がある人が自分の望ましい方向に力を行使することだが、問題として反対する方から押し戻されることがある。

2.適応(Adapting)…自分に力がないとき、その状況を受け入れる。諦めるともいう。ありのままを受け入れるが、問題としてそれが耐え難いこと、耐えることができないくらいの問題には相応しくない。

3.離脱(Exting)…逃避ともいう。国を捨てて出国する、相手と離婚する、会社を辞める、もしくは問題が起こっていないと思いこむことも。一見解決しそうだが、これはその後に悲劇を生むことにつながる。

・コラボレーション(協働)は、強制することも出来ず、適応するにも耐えられず、逃げることも叶わないとき、乗り越えるために残された最後の選択。しかし、だからといってコラボレーションは必ずしも成功するとは限らないということを理解しておく。

・従来のコラボレーションのためのレシピといえば、問題を特定し、解決策を考え、合意を図り全員で取り組むべき1つのことを決めて取り掛かることだったが、これは問題がシンプルで、チームの調和が取れていて、状況が安定しているときにしか有効ではない。問題が複雑で調和が取れず不安定なときに従来のコラボレーションを取ることは危険な方法である。

・問題が複雑で調和が取れず不安定なときに行うべきなのが「ストレッチ・コラボレーション」である。つまりコンフォートゾーンから出て、ストレッチゾーンで行うコラボレーションである。
ストレッチ・コラボレーションは、方向は同じ方を向いているものの、それぞれ乗っている船は違うイメージである。各々が別の行動を取る。

・コラボレーションするときによくでる言葉、「チーム(全体)のためになることをしよう」というが、しかし全体は1つではない。概ね全体のなかの一部を指して使っている言葉である。それは自分にとっての全体のためになることをしようというものだ。

・ストレッチ・コラボレーションを行うには3つの段階がある。
第一のストレッチ…対立とつながりを受容すること。つまり、敵(好きではない相手、賛同できない相手、信頼できない相手)ともコラボレーションすることは可能である。合意できない相手とも協働は可能であるということを受け入れること。
※アダムカヘンの別の著書では、対立とつながりは「愛と力」とも表す

第二のストレッチ…進むべき道の実験を行うこと。対立する相手と、新たな可能性を見つけるために、試しにやってみること。失敗をしてもいいので、小さなことから実験をすること。

第三のストレッチ…ゲームへ足を踏み入れること。つまり、相手が変わらなければコラボレーションできないという考えを捨て、自分が降りていきコラボレーションというゲームに加わることだ(自分が変わること)
人に対して「変わらなければならない」という時、それは私以外の人が変わらなければならないといっていることになる。あいつがこうなればとか、他人の行動をあれこれ考えることに時間を使うことは無駄である。他者の行動を変えることはできない、変えられるのは自分の行動だけである。

・敵とのコラボレーションは未知の領域に踏み込んでいくことになる。だからこそ、これまでにない新しい可能性が開けてくる。これまでは我々は合意、権力による支配、確実性などを追い求めてきたが、現代はいずれも不安定な状況にある。これらを手放すことから始めなければならない。

・どうやって合意をしたら良いか?と考えがちだが、合意できると思いこむことは幻想である。そもそも合意することは出来ないと理解すること、それを受け入れることだ。だから、ストレッチ(新規性や挑戦的なもの)となる。

・なぜ合意できないのか?それは違いがあるからである。我々はみな違う。そもそも一緒なものなどいない。違いのない振りはできる。しかし、それは違いがなくなったことにはならない。

・違いと敵の差。違いがあるからすべて敵になる訳ではない、敵とは「私が脅威と思う人」である。そして、その根源は恐怖である。

・ストレッチ・コラボレーションは、相手に何かをさせない。変えられるのは自分しかない。その時、できることは、チームのなかで「自分達がやっていることは上手くいかない」という結論を出している人を見つけることである。

・ストレッチ・コラボレーションにおけるリーダーは、模範を示すこと。自分が安定し、常に穏やかでいること。そして合意できない人とも協働は可能であるということを学習することである。

・ファシリテーターとしてストレッチ・コラボレーションに臨むチームを支援するとき、参加者のネガティブな気持ちを支援することは重要である。居心地が悪いところにわざと足を踏み込むこと、違いと一緒に仕事をすることがは素晴らしいことだという姿勢(在り方)を示すことだ。ファシリテーターは、世界はハーモニーであるということは幻想であることを知ること。

・4つのオプションにベストチョイスはない。文化や思考様式によっても選ぶ選択は変わるだろう。しかし、4つの選択があるということを常に忘れてはならない。

・言いたいことを言い合えない状況のなかで、合意するということができるというのは幻想である、また、互いに言いたいことを言いえ合えれば合意できるということも幻想である。

・アダムカヘンの仕事の熱量について。社会変革のファシリテーターは非常に疲れる仕事だが、エキサイティングで見返りのある仕事だと考えている。ファシリテーティングは一種のパフォーミングアートで、ジャズの演奏に似ている。つまりリアルタイムでチャレンジすることである。

※2018年11月1日に東京にて開催されたアダム・カヘンの新著発行記念講演より

数多あるnoteのなか、お読みいただきありがとうございました。いただいたご支援を糧に、皆さんの生き方や働き方を見直すヒントになるような記事を書いていきたいと思います。