「仕事の厳しさ」を厳しく訴える偉い人たち

先日知り合いと話をしていて、ある経営フォーラムでの話を聞いた。

その中で、名の通った一世代前の、おそらく”カリスマ経営者”と呼ばれる感じの、話では70代80代くらいの経営者が、40−50代の現役で経営を最前線で行っているこれまた今をときめく経営者たちのプレゼンにコメントを行うコーナーというのがあったとのことだった。

この中で分野の異なる様々な経営者のプレゼンが終わった後、その老齢元カリスマ経営者が、”一体君たちはこのプレゼンの中で何を言いたかったのだ!”と第一声から怒りとともにいわばダメだしから話が始まったとのことであった。

内容に関しては素人でもあるし詳しく聞いた訳でもないのでよくわからないのだが、この”予想外になぜかいきなりダメだしから始まりただ叱られるだけ”という体験は経営という分野に限らず人生に置いて何度か経験がある人も多いのではないだろうか。

母親のためにお手伝いをして待っていたつもりがなぜかいきなり怒られる、全く身に覚えのないことで教師からみんなの前で非難される、会社で自分ではそこそこ結果に満足していたことに対してなぜか上司から違う面から責められる、しかも相手が違えば褒められてもおかしくないのではともおもえることでもあり本人にとってもあまりに予想外で反応できない、という形になってしまうことが多いのではないだろうか。

それは別にして、この仕事という環境にいるとしばしば体験する、”偉い人から仕事の厳しさを理解してないことを非難され、仕事とは非情なまでに厳しく自分や家族あるいは無垢の人を犠牲にしなければならないと説教される”シーンは本質的にどう向かい合わないといけないものなのだろうか。

今回は連載中である燃え尽き症候群とも関連した、欧州での精神労働医学の面から少し考えてみることとした。

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